『同級生』の中村明日美子は百合でなにを描く? 『メジロバナの咲く』の友愛とシスターフッド
中村明日美子――その名前をBL愛好家が聞けば、彼女の描いた作品たちが簡単に、頭に浮かぶだろう。特に『同級生』シリーズは息が長く愛され、アニメーション映画になるほどの人気ぶりだ。また中村明日美子は2010年代後半からは集英社の雑誌「ウルトラジャンプ」にて『王国物語』を不定期連載中である。女性ファンだけではなく、中村明日美子が好きだという男性読者も増えてきている。
私も中村明日美子の耽美で時に退廃的な話と、神経質に一歩近い繊細な線に惹かれている、中村明日美子の大ファンだ。
中村明日美子が描く百合
白泉社の『楽園 Le Paradis』で連載されている『メジロバナの咲く』は、海外の寄宿舎を舞台にする、中村明日美子の初めての長編ガールズラブ漫画。おてんばで天真爛漫なルビー・カノッサを主人公に、過去の陰影を感じさせるクールな「鋼のステフ」。ステフと同室のレナ。ルビーより1つ歳下のリズ……そんな彼女たちが織り成す百合群像劇だ。
『メジロバナの咲く』はセリフやモノローグは最低限に抑えており、丁寧で緻密な絵を読者に見せることによって、リアルな手触りを感じさせる構成になっている(同誌で連載していた『鉄道少女漫画』に収録されている「立体交差の駅」は素晴らしいクオリティの短編百合漫画だ。「立体交差の駅」を読んでから、私は中村明日美子に長い百合を描いて頂きたいと切望した。2019年に『メジロバナの咲く』の連載が開始されたことによって、それが叶った)。
『メジロバナの咲く』はBL漫画『同級生』シリーズとは全く違う。同性が同性に抱く好意。それは百合でもBLでも同じことなのに、なぜこのような差異が生まれるのだろうか。『メジロバナの咲く』は中村明日美子の新しい扉を開けた。その扉の先には女性が女性に向ける好意というものがある。
では、それはどんな好意か? それはここから書いていきたい。
※以下、1巻の第1話に関するネタバレが含まれます
ルビーの両親は離婚することになって、冬の休暇をステフと2人で過ごすことになる。反発しあいながら、段々と距離が縮まるルビーとステフ。ルビーは離婚を不条理だと、ステフに感情的に訴える。そしてまるで自分が両親に必要とされていないと、自己嫌悪に陥る。
ステフは同室にいるルビーに声をかける。
「でも いてもいなくても 同じとは思わないわ 私はここにいる」
そしてステフの過去を、ルビーは知ることになる……。
堅苦しい話になってしまって恐縮だが、ハンナ・アーレントを読者の皆さまは、ご存じだろうか? 2012年には伝記映画が作られ、『人間の条件』や『全体主義の起源』を書いた哲学者である。
かつてハンナ・アーレントは愛という単語を、
「私は、あなたが存在してほしい」
と訳した。
ルビーもステフも「ここに(存在して)いる」ということを強調している。それは、『同級生』シリーズと違って、肉感的な・センシュアルな愛ではないだろう。ステフが「ここに(存在して)いる」ことを肯定し続ける愛情が、ルビーに自信を与えた。ルビーの両親は離婚をした。しかしルビーはへこたれない。
なぜならば「存在すること」が愛情の証明だと気がついたからだ。
このルビーとステフの愛情に名前をつけるならば、いったい何だろうか、と私は頭を悩ませた。
アガペー(無償の愛)とは思えなかった。友愛――フィリアに近いと思った。まずフレンドシップがあり、ステフはルビーの面倒を見る。
そしてルビーはステフやリズに助けられる。しかし一方的な助力ではない。ルビーとステフ、リズ、レナetc…….多くの人物が連帯して、互いを助け合っている。これはシスターフッド、女性同士の連帯と言えるだろう。