社会はポジティブに衰退していく……日本SF大賞作家・酉島伝法が描く、フェイクが蔓延する世界
こんな世界に誰がしたのか。
酉島伝法の最新短篇集『るん(笑)』は、今の日本とどこか似た世界が舞台となる、デマや疑似科学などのフェイクを主題とした小説3作を収めている。
冒頭を飾る「三十八度通り」の主人公・土屋は、一カ月以上も三十八度の熱が続いていた。寝ていても寒気で目が覚め、大量の汗をかいて喉が渇いて仕方ない。何とか熱を鎮めようと解熱剤を飲もうとしたその時、〈どうして自分の体を信じてあげないの!〉。妻の真弓に手をはたかれて、錠剤は手から弾け飛ぶ。
〈免疫力の……立場〉〈気持ち、なぜ考えてあげない〉。
真弓が薬の代わりに夫に処方していたのが、兪水(ゆすい)だ。天然イエロージャスミンの根をすりおろし、浄化された閼伽水(アクア)を注いで長時間かき回してできたこの水は、免疫力を高めるのにいいらしい。彼女のお手製で、〈ごく親しい人間が心から愛情を込めて作らない限り兪効の成分がうまく熟成しない〉のだとか。でも科学的根拠不明の飲料を飲んだところで、病状は好転しない。土屋がふらつきながら立ち上がり、効いていないそぶりを見せると真弓は〈くさい芝居はいらない〉と吐き捨てるように呟く。
こうした科学リテラシーの低下は国全体で起きており、経済は成長せず婚姻率も出生率も減少の一途をたどる。土屋の働いている結婚式場では披露宴のみで経営が成り立たないのか、離婚式に再婚式、果ては一人で挙げる〈自分自身と出会い、自分自身とわかり合い、自分自身と分かち合うことで自分探しに決着をつける結婚式〉まで企画される始末だった。
そんな衰退する社会において、ネガティブな言葉は〈忌み言葉〉として徹底的に排除される。2篇目の「千羽びらき」には、「三十八度通り」の登場人物・真弓が再び登場。彼女の母で末期癌を患う美奈子が語り手となり、真弓主導で進められる怪しげな代替療法の顛末を描く。作中世界で病気は言葉としての波長が悪いとのことで部首の「やまいだれ」を取って、「丙気(へいき)」と呼ばれている。癌は「蟠(わだかま)り」と言い換えられそれで終わりでなく、よりポジティブで奇天烈な言葉へと変化していく。医療は発達するどころか、退化しているというのに。