葛西純自伝連載『狂猿』第12回 アパッチプロレス軍入団と佐々木貴・マンモス佐々木との死闘

葛西純自伝連載『狂猿』第12回

初めて成功したバルコニーダイブ


 さっそく、翌2007年3月にプロデュース興行第2弾「anarchy in the crazy monkey」を開催した。俺っちは対戦相手に沼澤邪鬼を指名して「ガラスクラッシュ+αデスマッチ』に挑んだ。俺っちもヌマも望んでいた、ドロドロした人間臭いデスマッチを体現した試合になった。

 ただ、改めてガラスデスマッチのダメージが大きさを感じた。蛍光灯はスパッと切れるんだけど、ガラスは皮膚ごと削りとられる。だから、痛いし、出血もすごいし、傷の治りも遅い。ガラス系は、当たって割れる時も痛いけど、破片が散らばったリングで受け身を取る方がダメージが大きくて、試合が終盤になればなるほどキツくなっていく。だからこそ、ガラスはここぞという時しかやりたくないアイテム。それと、そんなに数を打ちたくないのはコスト的な問題もある。あのガラス板は1枚2万円くらいするから、何枚も使うとカネがかかって仕方ない。

 この頃には、プロデュース興行ではカネの管理までするようになっていた。良い大会にするためには、それなりの予算を注ぎ込まなきゃいけない。夏にやった第3弾はスケールアップして、新木場で3日連続の3連戦。このあとに続く、真夏のデスマッチカーニバルの雛形となった興行だ。

 ただ、この時は金村キンタローがケガで欠場。新世代デスマッチファイターとして注目株だった宮本裕向も欠場になった。出場選手が限られているなかで、俺っちの前に立ちはだかったのが佐々木貴だった。  貴とは対立はしていたけど、アパッチの中で俺たち世代がトップを取るという目的は一緒だったから、それを内外に見せつけるという意味合いもあった。

 初日は俺っちと貴のシングルで試合形式は「素足画鋲1万個デスマッチ」。素足画鋲は何度かやったことがあるんだけど、まともに歩けなくて、試合にならない。この日は、俺っちも貴も気合いが入っていて、しっかりとした攻防のある試合をしたんだけど、結果は負けてしまった。

2日目は、俺っちは沼澤邪鬼と組んで、貴&伊東竜二とタッグ戦。蛍光灯や有刺鉄線ボードが設置されたリングで荒々しい展開になったけど、最後は俺っちが貴にリバース・タイガードライバーを決めて前日の雪辱を晴らした。

 最終戦は、再び俺っちと佐々木貴のシングルで「ガラスクラッシュ+αデスマッチ」。連戦のダメージがキツかったけど、パールハーバー・スプラッシュで貴から勝利をもぎとった。この日の最後のアピールで、アパッチでWEWヘビー級のベルトを持っていたマンモス佐々木に、俺っちが挑戦することになった。

 決戦の舞台は10月22日、後楽園ホール。これも葛西純プロデュース興行だった。

 マンモスは、試合前からナーバスになっていた。というのも、この日から6年前の2001年の10月22日、同じ後楽園ホールでハヤブサさんが頚椎を骨折する大怪我を負っていた。その時の対戦相手がマンモスだった。奇妙な符号に、マンモスは何かが起こってしまうかもと心配していたようだった。

 試合形式は「4コーナーガラスクラッシュデスマッチ」。ガラス4枚のダメージは凄まじかったけど、俺っちはこの試合では初めてバルコニーダイブを成功させた。正確にいうと、後楽園ホールのバルコニーから飛んだのは初めてではない。1番最初に飛んだというか、落ちたのは、ゼロワン時代にやったホミサイドとシングルマッチだった。ホミサイドをテーブルに寝かせて、階段から2階に駆け上がって、バルコニーにたどり着いて、いざ跳ぼうと思って下を見たらホミサイドがいない。「え?」と思ってたら、ホミサイドはテーブルから脱出して俺っちのことを後ろから追いかけてきていて、そのまま襲われて下に突き落とされた。

 だからダイブ未遂というか、独りでバルコニーから叩き落とされたことはあった。このマンモス戦では、しっかりダイブを決めることが出来たんだけど、マンモスは異様なタフネスぶりを発揮、すぐに起き上がってきて俺っちの首根っこを掴んでチョークスラムで叩きつけられた。

 試合終盤は割れたガラスが散乱するリングで血を流しあい、死力を尽くしたけど、最後は29歳(得意技)をくらって3カウントを取られてしまった。プロデュース興行だと、なぜか勝てないというジンクスはこの頃から始まっていたのかもしれない。

 ちなみに、現在は後楽園ホールも、新木場も、バルコニーダイブは禁止となってしまった。あの怖さと興奮は、もう味わえない。俺っちは、こうみえても高い所は苦手だったりする。バルコニーでいえば、新木場のほうが足場が狭いから、登って、飛ぶ地点まで行くだけでもけっこう怖い。

 後楽園と新木場、どっちのバルコニーダイブが怖いかなんて比較できる人間も少ないと思うけど、俺っち的には新木場のほうが怖かったし、難易度が高いんじゃないかな。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。twitter
プロレスリングFREEDOMS 最新情報はコチラ

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「エッセイ」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる