阿部和重、町田康、赤坂真理……“J文学”とは何だったのか? 90年代後半「Jの字」に託された期待
2000年代にはJ文学の作家リストにも登場した清涼院流水に影響を受けた若手が講談社の雑誌『ファウスト』を中心に活躍し、舞城王太郎、佐藤友哉という三島賞作家を生んだ。彼らはミステリー、ライトノベル、純文学のアマルガムのような作風で、J文学×Jミステリーの延長線上のごとき存在だった。
また、『’90年代J文学マップ』に寄稿した斎藤美奈子編で2002年に『L文学完全読本』(マガジンハウス)と題した小説ガイドが出た。J文学をもじって命名したと思われるL文学について斎藤は、女性を主人公にした女性作家の作品としつつ従来の女流文学とは異なると説いた。男性が権力を握る文壇に適応した女流文学ではなく、女性の価値観に基づく小説という意味だろう。また、1980年代にL文学の萌芽があったとして、少女マンガ、コバルト文庫とともに例にあげたのが山田詠美や林真理子の作品である。男女雇用機会均等法が成立した1980年代は、フェミニズムへの関心が高まった時代でもあった。
『L文学完全読本』は、文芸誌『鳩よ!』最終号(2002年5月号)の特集を書籍化したものだった。同号の斎藤との対談で編集長だった喜入冬子は、1999年の同誌リニューアルをふり返り、「女の子向けということでは当時J文学というのがあったけれど、あれは痛くて。もう少し大らかに楽しくできないかと思いました」と明かした。
J文学に抱いた違和感の先に斎藤を編者にしたL文学の企画が立てられたと推察される。赤坂真理、角田光代、川上弘美、多和田葉子などJ文学にもマッピングされた作家たちが『L文学完全読本』にも多く登場したが、ここではさらに別の形の文学史を見出そうとしたのだ。その意味では、反発や違和感も含めJ文学からの流れは後の時代へつながっている。
そして、今の文芸誌を見渡せば、文学と他の領域の混交がいっそう進んだ誌面になっている。純文からエンタメへ、エンタメから純文への越境はもう珍しくない。J文学の命名者だった佐々木敦は今春、自らが編集長となって新たな文学ムック『ことばと』を始動し、創刊号で異業種参入作家の現在の代表格である又吉直樹と座談会を行った。村田沙耶香や古谷田奈月など近年目立つ女性作家の活躍を、現在のL文学と見立てることもできる。
一方、かつてのJの字は、グローバルと日本の関係を漠然と連想させるものだった。それに対し、赤坂真理は『東京プリズン』(2012年)で東京裁判を、『箱の中の天皇』(2019年)で天皇制をテーマにし、阿部和重は昨年発表の『オーガ(ニ)ズム』で完結した神町トリロジーで日米関係を扱った。J文学の代表格だった2人は、もっと明確に日本やアメリカと対峙する小説を書くようになったのだ。昨年リニューアルしてからの『文藝』も「天皇・平成・文学」、「韓国・フェミニズム・日本」、「中国・SF・革命」と方向づけをはっきりさせた特集を組み、J文学の頃とは大きく変化している。社会における差別や分断が強まっているからでもあるだろう。
ただ、J文学の時代から現在までの推移をざっとおさらいしてみて、嫌でも気づいてしまうことがある。「モラトリアム野郎からプロレタリア文学へ」といわれた頃から、景気はずっとパッとしないままなのだ。この面に関しては、新しい景色をみたいと本当に思う。
■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。