飯田一史が注目のWeb漫画を考察
もしもダライ・ラマ6世に転生したら? comicoに韓国ウェブトゥーン『倉央嘉措』が掲載された意義
転生ものは世に無数にある。なろう系の流行以前にも『ぼくの地球を守って』『十二国記』のような名作がいくつもあるし、なろう系流行以後にも名作から異色作までいろいろある。なろう系での変わり種の代表的なところでいえばベストセラーになった『転生したらスライムだった件』、『蜘蛛ですが、何か?』や『シロクマ転生』『転生したらドラゴンの卵だった』といったあたりだろうか。
さて、ここで紹介するのは『倉央嘉措~ダライ・ラマ六世物語~』。ダライ・ラマへの転生を描いたウェブトゥーンである。ダライ・ラマ6世に転生したとされる少年を主人公にした、史実に基づくマンガだ。
なぜダライ・ラマ6世なのか
どういう経緯でダライ・ラマ6世に転生したとされる人物のマンガを著者が描こうと思ったのかは定かではない。ただダライ・ラマ6世がいまアクチュアルに映る存在であることは間違いない。
comico公式のあらすじにはこうある。
チベット仏教の法王にあたる「ダライ・ラマ」は、観音菩薩の化身で、人々を導き終えるまで転生を繰り返すとされ、第五世から事実上、チベットの政治と宗教の最高権力者となった。その転生者認定をめぐり、モンゴル・清朝との対立を招くきっかけとなったダライ・ラマ六世。詩人として優れ、恋愛歌集を残した彼の生涯とは……。
ここからもわかるとおり、チベットでダライ・ラマが政治と宗教のトップに君臨するようになった、というよりチベットを一代にして再統一したのは先代の5世であり、以来、ダライ・ラマの存在は今日に至るまで近隣国を含めた権力争いとは無縁ではいられなかった。
周知のように、今も中国と緊張関係にある近隣国や少数民族は少なくない。それだけでも考えさせられるところがある。韓国の歴史ドラマでは中国との力関係が背後にあり、それがドラマを盛り上げるものになっている作品も多いが、そういう力学から楽しむ/考える材料になっている。
描き方ひとつで見え方が変わる人物
もうひとつのポイントは、「恋愛歌集を残した」とあるとおり、ダライ・ラマ6世は即位して以降も僧生活に違和感を抱いて還俗し、以降は酒と恋愛と即興歌づくりに興じて暮らした人物である、ということだ。ただ気取らない彼のことをチベットの民衆は愛し、歌も広まったと言われている。ただしその後、廃位させられ、清に護送されられる途中に亡くなっている(暗殺されたと言われている)。政治的な手腕に優れた5世と比べると良くも悪くも破天荒な人物であり、7世の時代に清によるチベット支配が進むきっかけを作ってしまったとも言える。
転生したという建前を信じるならば「前世で疲れたのでもうやーめた」みたいな生き方だった、ということだ。
だから彼を「無能な転生者」として描くか「さまざまな軋轢に囚われず自由に生きた」と描くか、「政治的な力学に突如巻き込まれることになった不幸な少年」と描くかでだいぶ見え方は変わってくる。
本作では主人公の少年は突然「あなたがダライ・ラマの転生者です」と告げられるが、自覚がまったくない。社会のしくみ、背後にある複雑な勢力争いのことなど何も知らない年齢であり、生まれの無垢な少年として描かれているのだが――どんな展開をしてどんな結末に至るのか、実際読んでたしかめてもらいたい。
転生ものとして読んだ場合、なかなか珍しい展開になっていると言える。絵はおそらく水彩で描いたものをコンピュータで取り込んで処理しているのではないかと思うが、絵の滲みなどからもアナログ感、「昔」感がある。