植本一子が語る、初めての写真集出版とECDとの思い出 「いまなら石田さんの写真にも向かい合える」

植本一子が語る、初めての写真集出版とECDとの思い出 「いまなら石田さんの写真にも向かい合える」

エッセイと写真

ーーシャッターを切る動機はどんなものですか?

植本:身の周りの人を撮って残しておきたいという気持ちがいちばんですね。特に子ども達の写真は残せておいてよかった。でも彼女たちもひとりの人間だから、「もう載せないで」って言われたらそこまでですが、友人たちもすごく喜んでくれていて、自分の人生のように感じると言ってくれた人もいるし、こんな光の中で生きていたことに気がついたと言ってくれた人もいました。

ーーエッセイと写真で表現の違いはありますか?

植本:まったく別のものですけど、もともとは写真では撮りきれないものをエッセイに書いていたので、補完しあっているんじゃないでしょうか。日記やエッセイは5冊ぐらい出していますけど、どれも今回の写真集の副読本としても読めると思います。

ーー初めての写真集出版はどうでしたか?

植本:写真集が出てこそ写真家みたいな風潮もありますよね。私はずっと写真集を作ってこなかったから、この本のおかげでやっと自分が写真家と名乗っても許されるかな、という感じでいます。ちょうど今月から広島現代美術館で始まった「アカルイ カテイ」というグループ展に写真を展示しているんですけど、1年ぐらい前にオファーをいただいたとき、美術館で写真を展示する機会はそうそうないだろうから、それにあわせて写真集を作ろうと動き出せたのが大きなきっかけです。そもそも作品集を作りたいという欲求がなかったことに加えて、石田さんが亡くなってからは写真を見返すのも辛かった。でも、当たり前ですけど時間が経つことで石田さんについて話すことや思い出すことが段々と減ってきたことに気がついて、いまが一つの機会なのかなとも思いました。いまなら石田さんの写真にも向かい合えるような気がしたんです。

石田(ECD)さんを看取ったこと

ーー石田さんの写真は胸を突かれる思いがしました。

植本:写真家にはいろんな作家性があるので、みんながそうだとは思わないですけど、人が亡くなる瞬間というのは、それを残そうする写真家の欲が出る場面で、少なくとも私はそう思うタイプだったと思います。アラーキーも遺体の顔を撮っていたりしますよね。でも、私は不思議と写真を撮らなかった。残さなきゃという意識が強いから、それまではお葬式もバシバシ撮るんじゃないかと思っていたし、その準備もしていたんですけど、いざ亡くなってみると全然写真が撮れなかった。フィルムを現像に出してみたら、数枚しか撮影していなくて……。撮るか撮らないか葛藤もあったんですけど、それでも撮ったのは自分が写真家だからなのかなとも思います。

ーー改めて写真集を見直してみて、今思うことはありますか?

植本:写真集を通して、石田さんについて思い出す時間がやっととれてきたっていう感じがしています。もしもう数ヶ月前に取材があったとしたら何も話せなかったかもしれないですね。写真集を作る作業というのは、ある意味で振り返りの作業でした。収録されなかった写真も含めて、どの写真もいつどの瞬間に撮影したのか全部覚えていますが、こうしてまとめる作業をしないと見返すことはできなかった。それがようやくできるようになったんだと思います。だからタイトルも自然と『うれしい生活』に決まりました。日々の生活は本当にこの言葉どおりだなと思ってます。まとめることでそれに改めて気づくことができた。この写真集から何かを感じてもらえたら、すごくうれしいです。

(取材・文=河野瑠璃/写真=植本一子『うれしい生活』より)

■書籍情報
『うれしい生活』
著者:植本一子
出版社:河出書房新社
価格:2,900円(本体)
発売日:2019年12月2日
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309256481/

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