新宿二丁目はなぜ、世界的なLGBTタウンになったのか? 『新宿二丁目』著者が語る、街の成り立ちとその変化
ゲイを取り巻く環境の変化
――伏見さんが来てから、街の状況はどんな風に変わってきていますか?
伏見:僕が二丁目に来た1980年ぐらいは、通りには人通りがないんだけど、ガチャっとドアを開けると中はいっぱい、という状態でした。ゲイは人に見られないように外は小走りに移動するみたいな。今の二丁目は、週末ともなると通りに人が溢れていて、ゲイじゃない男性や女性も増えて、明るい街になりましたね。夏になると路上で飲んでいるだけの人もいます。海外からの方も増え、土曜日に仲通りを歩いていると、英語と中国語ばっかり聞こえてきて、ここは一体どこなんだろう?と思ったりします(笑)。
――ひとつの文化がここまで深く街に根ざした事例も、なかなか珍しいのではないでしょうか?
伏見:そうですね。本を書いていて改めて思ったんですけど、なんでこういう街が成立し得たのかとても不思議です。排斥運動があってもおかしくなかったのに、意外とない。住民の人からクレームが入るとしても、せいぜい酔っ払いが騒いでるとか、お店の外にちょっとエッチなポスターが貼ってあることが理由。大規模な反対運動も起こらず、なんとなく調和しながらやってこれたというのは、極めて日本的な社会のありようだとも思うんです。単純なマイノリティ対マジョリティで表せる対抗図式だけでは、この街(も日本社会も)は読めません。むしろそういう構造を象徴しているものこそが、新宿二丁目だという面がありますね。LGBTの権利を獲得していくことと、社会を敵と想定することを必ずしもイコールにしなくてもいい。
――二丁目はこれからもどんどん変わっていく予感はしますか。
伏見:そうですね。この界隈の建物は大体1970年ぐらいにビル化したものが多くて、現在、建て替えの時期に入ってきています。今後、古いビルがどんどん新しいビルになって、家賃も上がるでしょう。うちみたいなスナック商売はなかなか新しいビルのテナントになれないだろうし、それだけの家賃を負担してできる商売かというと、売り上げも減っているから難しい。今後、ゲイバーとかLGBT関係のお店は減るんじゃないですかね。昔は、1つのバーに行って自分のタイプがいなければ違うバーへと、回遊魚のように移動してお金を落としていくのがゲイバー街としての二丁目のあり方でした。それが近年、ゲイたちの出会いの場が完全にマッチングアプリの方に行っちゃったから、そうやって相手を見つける必要がなくなった。そうすると必然的にお金も落ちないし、ゲイの客も以前ほど来なくなってくる。
――それは、ものすごく大きな変化ですね。
伏見:どこのバーも結構苦しいと思います。まだゲイオンリーのゲイバーが多いかもしれないけど、ミックスの方にどんどん移って、色んなお客さんを入れて売り上げを支えるスタイルの商売になってきています。二丁目は1958年に売春防止法が施行されて、そこから10年ぐらいで遊郭からゲイバー街になっていった場所なんです。10年でそこまで変化しちゃうんだから、今ゲイバー街と言ったって、あと10年経ったらどうなる? そりゃ変わるだろうとは思いますね。
――近年、LGBTに関しての意識が変化したことで、ゲイバー特有の「イジリ」というか、ノリみたいなものに変化はありますか。
伏見:ポリティカル・コレクトネスの影響は無視できなくなるでしょうね。例えばアウティング。その人が同性愛者であることを他者が明らかにしちゃうことを言いますが、国立市ではアウティングの禁止を盛り込んだ条例が作られたという話を聞きました。そういうのが持ち込まれると、ゲイバーで話されていることの90%がアウティングみたいなものだから(笑)、何も話せなくない?となってしまいますね。
――なるほど。
伏見:大体、普通の友達同士で話していることだって、「あいつとあいつはできてるよ」とか、「彼女は彼のことが好きなんだって」とか、そんな会話ばっかりじゃないですか。同性愛者だからと言って、そういうのをアウティングとして法で規制していく方向性に、僕は全然賛成していないです。もちろん、悪意を持ってその人のプライバシーを暴くのは厳禁です。そして偏見や差別を解消したり、性的マイノリティに関する知識を色んな人に知ってもらう活動は大事です。そういうことは積極的にやっていくべきだと思いますが、法を私的な人間関係の領域にまで踏み込ませると、何も喋れなくなってしまう。
――そうなってくるとゲイバーの経営も大変そうです……。
伏見:昔のゲイバーだったら今夜の相手を見つけるという目的が、お店の原理の中心にあったので、そのなかで対応していれば上手く回った。でも近年のようにコミュニケーションが中心になってくると、本当にそれぞれの立場への配慮が大変になる。でも、なかなかうまくいかないことが多いなか、立場の違う人たちが違いながらもなんとなくうまく調和した瞬間に、この商売のエクスタシーがあるんです。ただ、共通の背景がないと人はなかなか繋がれないものです。だから「この店では僕が唯一神であり法律です」って、冗談でよく言っています(笑)。そうやって、人と人の物語に折り合いをつけるようになってきていますね。