Lamp、断続的な活動の中でバンドを続けるための秘訣 『ランプ幻想』などの制作エピソードも
今年10月、前作『彼女の時計』からおよそ5年ぶりのニューアルバム『一夜のペーソス』をリリースした男女3人組バンド、Lamp。2003年にインディーレーベルMotel Bleuより1stアルバム『そよ風アパートメント201』をリリースし、ボサノバを基軸としながらフォークやサイケ、AORなどの要素を散りばめたそのサウンドがコアな音楽ファンの間で密かに話題になっていた彼らが現在、Spotifyの月間リスナー数が200万人を超えるなど主に海外の若い音楽ファンの間で話題となっている。
大掛かりなプロモーションやツアーなどは積極的に行わず、ひたすらマイペースに作品をリリースし続けてきたLamp。断続的な活動であるにもかかわらず、彼らがこうして23年も続けてこられたのはなぜか。今回リアルサウンドでは、Lampのこれまでのレパートリーの中でも特に再生数の高い楽曲について、メンバーの永井祐介、榊原香保里、染谷大陽に当時の制作エピソードを振り返ってもらった。(黒田隆憲)
海外でのヒットは“不思議だけど、不思議じゃない”感覚
──Lampは現在、Spotifyの月間リスナー数が200万人を超えています。この状況について率直にどう思われますか?
染谷:自分たちのことなので客観視するのが少し難しいですけど、これだけ沢山の海外の人たちが僕らのような日本語の音楽を聴いているってすごいことじゃないかなと感じます。サブスクが出てくる前の時代だとちょっと考えられなかったことですよね。作ってきた音楽に自信はありましたけど、実際にこういうことが現実のものになってみると、ちょっと信じられないというか、びっくりしています。
榊原:実をいうと、私自身はそういった数字は興味がなくて。周りに言われても「ふうん」という感じでずっと過ごしてきました。今はこうやって取材を受けることもあるので、状況は把握しているつもりですが、それでもあまり意識したことはないですね。これまでの活動の中で、取り立てて注目を集めたこともあまりなかったですし。ただ、こうやっていろんな人たちに聴いてもらえたことについては、それなりにやってきたという自負もあるので、「不思議だけど、不思議じゃない」みたいな(笑)。そんな感覚が続いています。
永井:これまでずっと、「売れる/売れない」というところで活動してこなかったというか。バンドを始めたばかりの頃は、音楽だけで食べていくことを想像していたんです。でもインディーズで1枚、2枚と作品を発表してみて、現実的に「あぁ、これは無理だな(笑)」と思ったんですよね。そこからは、音楽を仕事にするということをほぼ諦めていたし、商業的な結果をあまり期待もしていなかったんです。なので、自分たちがこういう状況になったのはきっと時代の流れにうまく乗れた運もあっただろうし、商業的な成功とは無縁の世界で純粋に自分たちが良いと思える音楽を本気で作りつづけてきたからなのかなと。こうやって見つけてもらい、聴いてもらっていることに関しては「運が良かった」という気持ちと、まわりを気にせず「本気で作ってきて良かったな」という気持ちの両方がありますね。
人気曲のリリース当時のエピソード
──今回は、Lampのこれまでのレパートリーの中でも特に再生数の高い楽曲について、当時のエピソードを振り返っていただきたいと思います。リリース順に伺いたいのですが、まずはデビューEP『そよ風アパートメント201』(2003年)に収録された「部屋の窓辺(From The Window)」。ストリングスのピチカートや、シンセ音をフィーチャーした可愛らしいボサノバソングです。
染谷:もともとLampは、僕がギターを弾いて二人が歌うというスタイルで活動を始めたのですが、「部屋の窓辺」はその時期に作った楽曲です。あまりにも昔すぎて、レコーディングの時のこととかほとんど覚えてないんですけど……(笑)。
永井:曲を作って、初めてリハーサルした時のことは覚えてる。確か手賀沼という、地元の沼に集まったような(笑)。
榊原:ああ、なぜか外で練習したこととか当時は何回かあったよね。
染谷:1stは今聴くと稚拙な部分も多いんですけど、その中でもこの曲は演奏とかミックスとか、結構上手くいった印象があります。この曲や「二十歳の恋」のような楽曲がストリーミングで受けているのは、ボサノバ調のアコースティックなサウンドが今のムードにしっくりくるからなのかもしれないですね。
──「恋人へ(For Lovers)」は1分ちょっとの短い曲で、フォーキーなムードが個人的にはポール・マッカートニーのソロ曲「Man We Was Lonely」などを彷彿とさせます。
永井:当初、7曲入りのつもりで作っていた2ndアルバム『恋人へ』(2004年)でしたが、最後の最後で「こんな曲ができたんだけど」と染谷さんに聴いてもらって急遽付け加えたくらいの、本当に軽い気持ちで作った曲です。中国ツアーでお世話になったプロモーターの女性から、「この曲すごく人気だから絶対にやった方がいい」と言われて、それで曲の存在を思い出したくらい。それより、アルバムではこの曲の次に入っている「ひろがるなみだ」という曲の方が、当時自分のできることを全て注ぎ込むくらいのつもりで作ったのですが、それは大して聴かれていなくて。そこはちょっと微妙な気持ちですね(笑)。
榊原:この『恋人へ』というアルバムもなんですけど、1stから3rdまでのLampの曲は、当時お世話になっていたエンジニアさんの意向で、リバーブとディレイが全体にたっぷりかかったサウンドだったんです。でもなぜかこの1曲だけ、ローファイなレコーディングを許してもらえて。それがすごく嬉しかったのを覚えていますね(笑)。
──ストリングスもフィーチャーした、16ビートの疾走感溢れるネオアコソング「最終列車は25時(Last Train At 25 O'clock)」も『恋人へ』収録曲です。
染谷:当時は曲の作り方もよくわからないまま、無我夢中で作ったというのがまず記憶としてありますね。若い時にしか感じられないこと、若い時にしか出せないことって結構あると思うんですけど、この曲は「自分が何者であるか」を探している20代前半の人間が、勢いに任せて作った曲。同じことを今やれと言われても、絶対にできないと思う。ストリングスのアレンジも、スコアの書き方すら知らないままカタカナで書いたフレーズをゲストの演奏者に見せて。「五線譜ちゃんと用意しろ」って怒られたのを覚えています。そりゃそうですよね(笑)。