関取 花「ようやく理想の曲作りができた」 フォークからオルタナまで“好き”と向き合えた手応え

関取 花、“好き”を鳴らせた理想の曲作り

 関取 花にとって大きな意味のあるEP『メモリーちゃんズ』が11月15日に発売された。彼女のこれまでの制作ペースを考えれば、このタイミングはフルアルバムでもおかしくなかったが、EPという自由度の高いリリース形態によって、何にも縛られずに“好き”と向き合えた作品になっている。「メモリーちゃん」はドラマ『カメラ、はじめてもいいですか?』(BS松竹東急)の主題歌、「ナナ」はフォトグラファー 大畑陽子の写真集『Nana』からインスピレーションを受けてできた曲、「すきのうた」は『パンサー向井の#ふらっと』(TBSラジオ)内のコーナー「ふらっとキッズお茶会」などで子供たちと接したことからできた曲になっており、青春時代の記憶や子供の無邪気さとリンクしたことが、新曲に純粋な煌めきを与えていると言えるだろう。特に「メモリーちゃん」や「ナナ」ではエレキギターが大胆に導入され、彼女の楽曲を長く聴いてきたリスナーほど新鮮に楽しめるはず。そんな、シンガーソングライターとして充実の季節を迎えている関取 花に話を聞いた。

 大人になるほど純粋さを忘れるとはよく言うが、論理が先行して模範的な正解ばかり目につく時代に、“感覚に素直になる”ことはとても大切だ。それを記憶の中から呼び起こし、まるで風景を描くように歌っている今作は、市井を見つめる関取のフォーク性が自然と溢れた作品だと言えるし、“好き”を主張することをためらっている人に、そっと手を差し伸べる優しい作品だとも言える。自分らしさをストイックに突き詰めてきた彼女が、一旦その枠を外し、ただありのままの想いを書き連ねていく中で、“関取 花らしさ”を再発見している点も素晴らしい。変動の激しい2020年代、ノスタルジーとしてではなく、今こそ大切にしたいものを思い出させてくれる関取 花の音楽に、ぜひ触れてみてほしい。(信太卓実)

「何をすべきか」じゃなくて、「これがやりたい」っていう気持ちで作れた

ーー『メモリーちゃんズ』に収録されてる新曲3曲は、幼い頃や青春時代の記憶と現在がリンクするような楽曲になっていますよね。まず関取さんにとってどんな作品になったと思いますか。

関取 花(以下、関取):素直にめちゃくちゃ好きですね。私が音楽をやる理由って「曲を通して自分のことを好きになれるかもしれない」っていうのが大きくて。これまでも出すたびに新しい自分に気づいて、自分のことを好きになってこれたんですけど、今回は日常生活や仕事で人に出会ってスルッとできた曲ばかりで。ミュージシャンの関取 花、プライベートの関取 花、小さい頃の関取 花がようやくガチっと重なって、全く頭を堅くせずに作れた感覚でした。

ーーどうしてこのタイミングでそうなれたんだと思います?

関取:大きなきっかけは本当になくて、グラデーションでそうなっていったのかなって。例えば、「最近こんなことしたんだ」っていう誰かの話とか、目の前に広がっている景色とかを、すぐ自分に結びつけてアウトプットするんじゃなくて、時間をかけてじっくり味わってから理解しようとすることが、ここ1年ぐらいで増えた気がしていて。そういうことを日々貯めていったら、ある日ギターを持った時にポンって曲になって出てくるみたいな感じですね。

ーーメジャー1stアルバム『新しい花』(2021年)で自分自身を肯定できて、2ndアルバム『また会いましたね』(2022年)で音楽を始めたての頃の初期衝動にもう1回向き合うことができたじゃないですか。そうやって過去にも現在にも落とし前をつけることができたからこそ、今は本当にナチュラルな曲作りができているのかもしれないなって思います。

関取:確かに! 今思うとメジャーデビューした頃(2019年)から決めていたことがあって、まずはいろんなプロデューサーさんと組んで、メジャーでしかできない“J-POPをちゃんと作ろう”っていうのが1枚目(『新しい花』)で。その後はセルフプロデュースで、一緒にライブをやってきたサポートメンバーと、バンドみたいになってアルバムを作りたいっていうのが2枚目(『また会いましたね』)だったんですけど、その先は正直考えてなかったんです。メジャーの経験値としてやっておきたいことが一通り落ち着いて、肩肘張ってたのがポンって取れたというか。だから「何をすべきか」が先にあるんじゃなくて、今回は「これがやりたい」っていう気持ち先行で作れた感じがしました。

ーーそうやって肩の力が抜けて「メモリーちゃん」「ナナ」「すきのうた」ができ上がって、改めて気づいたことってありますか。

関取:私は今32歳なんですけど、地元の友達から子供の発表会の動画とか、赤ちゃんが生まれて病院で抱っこしてるような写真がよく送られてくるようになって、もうすっかりそんな年齢なんですよね。そういうものに触れたりすると、画面越しでもつい涙が溢れ出てきてしまって。しかも実際に子供たちと会って喋ってみると、「何も狙ってないのに、なんでこんなに真理を突いてくるんだろう?」って思ったり、「人間誰しも、“これをやりたい”っていう原動力だけで、どこまでも行けた特別な時間があったよな」って考えるようになったんです。

「景色だけを描けば、自ずと私が何をやってるのかが見えてくる」

ーー「すきのうた」には今おっしゃったことがそのまま歌われていますよね。大人って何かと優劣に理由をつけて「こっちの方が優れてる」って主張したり、逆に空気を読んで「これが好きだ」って言えなかったりするじゃないですか。でも子供は違って、衒いなく好きな気持ちを主張したり、相手のことを認めたりできる。論理に縛られて窮屈になりがちな時代だからこそ、歌い出しの〈わたしは青がすき ぼくは赤がすき/どっちも綺麗だね まぜたなら紫〉からスッと入ってくる感覚がありました。

関取:めっちゃ嬉しいです。「すきのうた」は曲を書いてる感覚さえなかったというか、誰かに喋りかけるように勝手に出てきた感じでした。モデルをやっている友達と話していて面白かったことがあるんですけど、コロナ禍の影響でネットで服を買うことがより増えたこともあって、最近は自分が着た姿をリアルに想像できるモデルさんの需要が増えたり、インフルエンサーの方が作ったブランドが流行ったりしているみたいなんです。あとは「正解はこれだよ」って教えてくれる間違いのないメイクのやり方ーー「本当はオレンジのメイクをしたいかもしれないけど、あなたの肌はこうだから似合うのはピンクだよ」「骨格的にこの形の方が垢抜けるよ」みたいな情報が、ネットでよく出てくるようになった気がしていて。もちろん、そういうのを私も参考にしているんですけど、子供だった頃って似合う/似合わないとかじゃなくて、「これが着たい」「これをやりたい」だけで生きていられたんですよね。そういうことって自分も忘れてしまっていたなってことを思い出して。

 子供たちに会うと、一人ひとり本当にいろんな子がいるんです。 自分で手作りしたカバンを持ってる子がいたり、 一人称が「私」っていう男の子がいれば、「僕」っていう女の子もいる。持ってきたぬいぐるみの位置をちょっとズラそうと思って、私がギュッて握ったら「そんな風に掴まないで!」って言うのも、ぬいぐるみにその子の“すき”が宿ってるからだし、すごくハッとさせられたんですよね。何が正解とかじゃなくて、「したいこと」がその子にとっての正義であり、何にも代え難い宝物なんだなって。友達との話と、子供と接してみて感じたことがリンクしてできた曲なんだと思います。

ーー「曲を書いてる感覚さえなかった」とおっしゃってましたけど、だからこそ弾き語りだけで曲が成り立っているとも言えますよね。

関取:本当にそうですね。 私が初めて曲を作った時って、音楽で食べていこうなんて全く思ってもいなかった頃で。誰に聴かせるでもなく、実家のベッドに寝転びながらギターをポロッと弾くような作り方でできた曲でした。

ーーそうやって出てきたからこそ、日頃考えてることがはっきり表れたんだと思いますし、世の中へのメッセージも無意識に内包されている。すごく純度の高いフォークソングになっていると思いました。

関取:ありがとうございます。確かに、曲調に関わらずそういうフォーク的な作り方に憧れてるところがあって。もともと「自分が何者なのかを音楽で示さなきゃいけない」って思っていたんですけど、「私が私でいればそれだけでいいんだ」って思えたマインドの変化もかなりありました。「何をしよう」とか「あれはダメだ」って書くんじゃなくて、ただ目の前で起こっていることをそのまま描くことで大きな意味を持つというか。絵本や俳句や短歌も、実は感情的なことってそんなに描いていなくて、ただ景色や出来事をとつとつと描いているだけなのに、なんでこんなに刺さるんだろうってよく思うので。自分にとっても世の中にとっても“残る曲”ってそうであってほしいなってずっと思っていたので、ようやく理想的な曲作りができた気がします。

関取 花「すきのうた」(極メロフェスティバル at 神戸VARIT / 2023年11月10日)

ーー「私は私なんだ」ってことも、ちゃんと歌詞にしてきたのが少し前までのモードだったじゃないですか。今回はそういう主張もないですもんね。

関取:たぶん、自分に言い聞かせてたんだろうなって思います。「私は私だ」って言わないとそういうスタンスを外に出せなかったし、自分を信じてもらえない気がしてたんです。でもそういう言葉を使わなくても、今立っている景色だけを描けば、自ずと私が何をやってるのかが見えてくるモードに入ったのかなって。

ーーしかも今回、5分ほどのMCが収録されていますよね。「音楽作品でありたい」ってこだわってきたインディーズ時代だったら考えられないことだと思うんですけど、どんな自分も楽しんでもらいたいっていう自信の芽生えがあるから、収録できたんじゃないかなと思いました。

関取:私もインディーズ時代だったらMCは入れられてない気がしていて。当時は話す時にどこか力んでたというか、いかにも用意した話をしている感じがあって、後からシラフで聞き返すとしんどかったんですよ(笑)。でも今のMCだったら……もちろん、ステージに上がればスイッチが入るので、無意識に喋るテンポとかトーンも変わるんですけど、曲作りと同じで、ただ起こったことだけを喋れるようになったので。「花ちゃん本当に焦ってたんだ」みたいなトークの勢いとか雰囲気でお客さんも笑ってくれて、内容以上に、その場のいい空気感が今回のMCには入ってる気がするんです。それが今の自分っぽいなと思って。

ーー今の話を聞いて思ったのは、「すきのうた」って無意識にオチがついてる曲になってる気がするんです。「もしも僕に」にも似ていて、子供に伝えているようで、実は自分に言い聞かせるような曲になっている。MCと同じくエモーショナルな表現は削いでいるのに、そういう情景が浮かんでくるのが面白いなって。ご自身としてはどうですか?

関取:まさに今言ってくれたようなことを最近よく考えていて。この前『パンサー向井の#ふらっと』で初めて生演奏で「すきのうた」を披露させていただいたんですけど、歌い終わった後に、「もしも僕に」の今バージョンなんだなっていう手応えがあったんです。それは作ってる時は全く意識していなかったことで。ただ、昔との違いがあるとすれば、「もしも僕に」を作っていた頃は〈子供〉っていう存在がすごく遠かったんですよね。だから〈でもまだきっとずっと先の話/だからそれまで自分に言い聞かす〉っていう歌詞になっていて。でも今は周りの友達にもだんだん子供が増えてきて、「もしも僕に」の頃とは変わってきてるんだなってハッと気づいて。大人になればなるほど初めての体験って減っていくと思っていたんですけど、そういう感覚に気づけたのは初めてだったんですよね。

関取花 もしも僕に

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