関取花「今をください」で伝える“確かな一瞬”を見逃さない大切さ 喜怒哀楽を素直に表現する“陽だまりのような歌”の魅力
あなたは関取花というシンガーソングライターとどのように出会っただろうか。長く応援してきたファンであれば、2009年の「閃光ライオット」で審査員特別賞に輝き、翌年初CD『THE』をリリースしたときから注目していたかもしれない。あるいは『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)など多くのテレビ番組で紹介された2016年頃に知ったかもしれないし、2019年のメジャーデビューを機に彼女の音楽に触れた方も多くいることだろう。振り返ってみれば、それら一つ一つがキャリアの大きな節目であったとともに、その都度彼女は自身に付随するイメージや、何を歌うべきかといったことと葛藤してきたように思う。しかし、関取花はそうした一瞬一瞬を伸びやかな歌で彩り、ワンマンライブの温かい空間を大切にしながら、着実に表現の幅を広げ続けてきたのである。
関取のインタビューを読んでいて面白いと感じることの一つは、彼女のルーツの多くが海外の音楽であること。それもそのはず、関取は横浜で生まれ、幼少期をドイツで過ごしているのだ。キャロル・キングやジュディ・シルなど70年代の女性シンガーソングライターに多大な影響を受けたと語っているほか、ドイツのオクトーバーフェストで民族衣装や伝統音楽に数多く触れてきたなかで、自然とアコースティックな音楽を好きになっていったという(参照:朝日新聞DIGITAL)。ビールについて溌剌と歌った「黄金の海で逢えたなら」が生み出されたのは、必然の出来事だったと言えるかもしれない。
そんな生い立ちとルーツ以上に、彼女の楽曲はもっと興味深い。めんどくさくてついついゴロゴロして過ごしてしまう「また今日もダメでした」、子供に伝えたいことを並べながらも自分に言い聞かせるように歌う「もしも僕に」、家を飛び出た日の家族について歌った「むすめ」、〈母親が寝ているうちに/金を盗んでいた〉という独白から始まる「平凡な毎日」、駅前でイチャつくカップルを見ながら〈悔しくない〉と歌う「べつに」、陽の光が希望のように降り注ぐ爽やかな「朝」など。代表曲をいくつか並べてみたが、関取花の音楽はシンプルな応援歌でもなければ、空想の物語というわけでもない。彼女が抱える“喜怒哀楽の表出そのもの”だと思う。すなわち、クールに着飾ることのない素直な表現であり、生きている中でごく自然に抽出された言葉たちである。人は歓喜した翌日に後悔もするし、満足した直後に他人を羨んだりもするだろう。難解なフレーズを一切使うことなくオリジナリティを確立しているのは、そうやって自身の身に起きた出来事を高い純度で音楽に落とし込めているからだ。
だから楽曲を聴くことで、我々は彼女の人となりを知ることができる。悲観的なわけではないけれど根っからポジティブなわけでもなく、家族との間に起きた苦しみや痛みを思い返したり、自分自身の進むべき道に迷ったりしながら、それでもいつか満開の花が咲く瞬間を信じて歌うーー楽曲を聴いていると、そんな関取の人間像が思い浮かんでくる。〈がんじがらめの花束よりも美しくなるの〉(「すずらん行進曲」)、〈こんなこともあったって/少しずつ話せる日が来るものさ〉(「平凡な毎日」)、〈どんな私にだって 生まれ変われそうで〉(「朝」)など、後悔や寂しさを滲ませながらも、「腹の底から笑える日がやってくるはずだ」という一抹の願いが込められている。インタビューで本人も「私には何もないっていうのが根底にあって、『でも』っていうのを歌でなんとか外に出して自分に言い聞かせている感じですね」(引用:『MUSICA』2017年3月号)と語っており、ネガティブな感情やコンプレックスを暗闇から掬い上げるように、伸びやかな声で歌うのが関取花の音楽なのだ。
さらに、関取自身の持つ“ユニークなキャラクター”も魅力の一つ。ライブでのMCはもちろん、バラエティ番組やラジオを通して、見る者を和ませ笑わせるトークは人気を支える大きな要因であろう。ワンマンライブに行けば音楽と同じくらい彼女のトークを楽しむことができ、毎年末に行っている横浜にぎわい座でのライブはその真骨頂だ。
テレビやラジオへの出演について「それもこれも音楽を聴いてもらうためのきっかけになればと思ってやってることなので」(参照:音楽ナタリー)と語っていたり、ライブのMCについて「ワンマンだとすごくしゃべるんですけど、それは、フロントマンは曲がいいだけじゃなく、人柄に興味を持ってもらえないと長続きしないと思ってるからで。人柄をわかってもらえれば、『朝』の次に『めんどくさいのうた』を歌っても受け入れてもらえると思うんですよね。規模感が大きくなっても、距離感は変わらないように……と意識はしています」(参照:音楽ナタリー)と語っているように、彼女はいつだってシンガーソングライターとして、自身の音楽の間口と可能性を広げるために活動している。いわばトークは楽曲を深く味わうための“導入”であり、そうやって音楽を第一に考える姿勢が伝わってくるからこそ、我々は関取の話に耳を傾けたくなるのだ。落語や漫才の会場であるにぎわい座でのライブにこだわっているのも、「話」と「音楽」が表裏一体であることを関取自身が強く実感しているからだろう。