乃木坂46、モデルケースなき最初期から1期生が築いてきたもの 多方面での成長と絆を支える、理想的なコミュニティへ

 秋元真夏が1月7日に乃木坂46からの卒業を発表、2月26日に行なわれる卒業コンサートをもってグループのメンバーとしての活動を終了する。すでに2022年末に乃木坂46としての活動を終えて卒業コンサートを控える齋藤飛鳥も含め、結成時から在籍してきた1期生メンバーが全員グループから離れることになり、乃木坂46は大きな節目を迎えている。

 本稿では、あらためて乃木坂46の1期生が最初期からの歩みのなかでグループに宿してきたものを捉えたい。

 乃木坂46が女性アイドルシーンの中心的存在になって幾年も経ち、個々人としてもそれぞれに多分野で活路を見出している現在にあって、そうした環境が整う以前のグループの姿を思い起こすことはなかなかないだろう。1期生たちがグループ草創期から先導してきたのは、メンバーたちが自らのキャリアや歩む道を描くための土壌として、または相互に尊重し合うコミュニティとしての乃木坂46という“場”を、何もないところから築いていく営みだった。

 乃木坂46というプロジェクトが始動した2010年代初頭、社会に大きなインパクトを与えていたAKB48に導かれるようにさまざまな規模のグループが多数生まれ、アイドルというジャンルはひとつの表現フォーマットとして活性化していた。ライブハウスのみならずショッピングモールや小売店の一角、街頭などにアイドルのライブや対面イベント開催のための場が無数に求められ、何より常にそれら「現場」が存在することに大きな意義が置かれていく時代だった。

 AKB48はマスメディアを席巻する一方で発展的に姉妹グループを複数誕生させ、それぞれ拠点となる土地に常時公演を打つための劇場を構えて、「現場」の時代をリードしていく。その状況下にあって、「AKB48の公式ライバル」という惹句とともに生まれつつも、常設劇場などを持たない乃木坂46は相対的に「現場」が少なく、いわば当時のアイドルの最もベーシックな要素に乏しかった。他方で「公式ライバル」という大きな看板を不可避的に背負ってはいたものの、その言葉が具体的に意味するところも定かでなく、まだ組織としてオリジナルな方針が誰の目にも明らかだったわけではない。

 そのなかで乃木坂46は、のちにグループの強みとしてしばしばメディアなどで伝えられるように、活動初期から雑誌などファッション分野へ長期的なアプローチを見せたり、俳優として演技の機会を繰り返し設けることによって、メンバー個々の演者としての力を蓄える場所を作り続けてきた。例えば、2010年代半ば頃には多くのファッション誌で専属モデルを務めるメンバーが相次ぎ、ファッション系メディアとの親和性をますます高めていく。その軌跡は後々まで拡大的に続いていく、代表的な成果のひとつであった。

 今日から振り返れば、そのように長い時間をかけて各分野に種を蒔き、順調に結実させたのだと、収まりのいい説明をしてしまえそうだが、あらかじめグループの確かな未来が約束されていたわけでもなく、グループとしてのモデルケースがあったわけでもない。草創期のメンバーたちの模索の跡に、いつしか集合的な厚みが生まれ、具体的なストロングポイントへと育っていった側面は大きいはずだ。

乃木坂46 『ぐるぐるカーテン』Short Ver.

 この乃木坂46という土壌はまた、グループ最初期のメンバーたちが、卒業後も引き続き多様な道を示してみせていることでいっそう豊かさを増す。長らくグループの顔であり続け、近年は俳優としての幅を広げている西野七瀬や白石麻衣、生駒里奈らばかりでなく、乃木坂46合同会社から離れて特色のある事務所で俳優としてのキャリアを歩む深川麻衣や井上小百合ら、あるいはアナウンサーとしての道を開拓する市來玲奈や斎藤ちはる、新たなグループ活動を行っている川後陽菜や、俳優として映像・舞台両面で活路を広げつつ、個展開催などを通じて自身のセンスを発信する伊藤万理華、プロ雀士となって雀荘カフェも経営する中田花奈など、さまざまなベクトルに向かう元メンバーを概観するとき、乃木坂46という地場を起点にしていくつものスタンスが存在し得ることが窺える。彼女たちがグループから離れて個人としての活動を積んでいくほどに、それは翻って後進のメンバーたちへの貴重なフィードバックにもなっていく。

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