SPEEDが鮮烈デビュー、「Body & Soul」で世間に与えた元気 みんなが聴いた平成ヒット曲第5回

 音楽が主にテレビが持つメディアパワーと密接に結びつき、お茶の間を経由して世間の“共通言語”となった時代、平成。CD登場のタイミングと相まって、音楽シーンは史上最高とも言える活況を迎えた。当時生み出された楽曲たちは、今なお多くの人々の心や記憶に刻まれ、特別な思いを持つ人も少なくない。また、時代を経てSNSや動画という新たなメディアパワーと結びつき現在進行形のヒット曲として甦る機会も増えている。

 リアルサウンドではライター田辺ユウキ氏による『みんなが聴いた平成ヒット曲』を連載中だ。平成元年(1989年)〜30年(2018年)のヒットチャートに登場した楽曲の中からランダムに1曲をピックアップし、楽曲ヒットの背景を当時の出来事もまじえながら論じていく。

 第5回となる今回は1996年(平成8年)9月のヒットチャートからセレクト(※1)。5位 安室奈美恵『SWEET 19 BLUES/JOY』、4位 SPEED『Body & Soul』、3位 玉置浩二『田園』、2位 globe『Is this love』、1位 藤井フミヤ『Another Orion』の中からSPEED『Body&Soul』に注目。1996年という時代性とともに同曲のヒットについて振り返る。(編集部)

SPEEDに元気づけられる「疲れたオジサン」

 音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)のなかで繰り広げられた、MCのダウンタウンとゲストミュージシャンたちのやりとりをまとめた番組公式本『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPよ永遠に』に、興味深い一文が記されていた。

「SPEEDが歌い踊っているのを見て元気づけられている「疲れたオジサン」が多いそうだ」

 1995年11月に音楽バラエティ番組『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)のなかでグループ名が公募され、翌年1月13日にSPEEDと名づけられてデビューした4人。この時点でメンバーの年齢は、島袋寛子11歳(1984年4月7日生まれ)、今井絵理子12歳(1983年9月22日生まれ)、上原多香子12歳(1983年1月14日生まれ)、新垣仁絵14歳(1981年4月7日生まれ)。当時としてはまだまだ珍しいローティーングループだった。

 しかもファッションはストリート系。ビッグサイズのアメリカンフットボール系のTシャツを着ていたり、短パンやルーズシルエットのトラックパンツをはいていたり、足元がバスケットシューズだったり……と、ビジュアル的にもそれまでのアーティストにはない奔放さが漂っていた。彼女たちは、憧れていたアメリカのR&Bグループ、TLCのファッションをモチーフにしていたのだ。

ポジティブなイメージで埋め尽くされたSPEED

 SPEEDのデビュー曲となったのが、1996年8月5日にリリースされた「Body & Soul」である。当時の女性アーティストシーンは小室哲哉プロデュース作品をはじめとするデジタルミュージックがチャートを賑わせていたほか、PUFFY、Every Little Thingなどキャッチーさが売りのポップスが多かった。

 そんななか、SPEEDはブラックミュージック色が強く、ヒップホップ系の歌唱とダンスもまじえていたところがかなり新鮮だった。さらに衝撃を受けたのが島袋のボーカルである。どこまでも伸びていきそうなハイトーンな歌声に、多くのリスナーが魅了されたのだ。同曲のミュージックビデオで青空のもとで気持ち良さそうに歌い上げる島袋らの姿は、観ているこちら側も爽快な気分になった。

 前述した、オジサンの疲れた心に効いた理由は、このミュージックビデオが要因ではないだろうか。明るいロケーション、活発なダンスパフォーマンス、そしてエネルギッシュなボーカル。SPEEDはとくにかくポジティブなイメージで埋め尽くされ、その様子を観て元気づけられる人が多かったように思える。

1996年はアムラー、eggなど「ギャル文化」が流行

 SPEEDの出自として知られるのが、1983年に沖縄で開講された芸能養成スクール、沖縄アクターズスクールだ。

 同スクールは、安室奈美恵を輩出し、彼女がブレイクしたことで全国的にその名が知られるようになった(ただそれ以前より早坂好恵が人気タレントとなり、知る人ぞ知るというスクールではあった)。同じく沖縄アクターズスクール出身で、安室と一緒にSUPER MONKEY'Sとして活動していたメンバーが新たにMAXを始動させ、こちらも大ヒット。そのあともDA PUMP、知念里奈らアクターズスクール勢がJ-POPの中心となり、その活躍がひとつのトピックスとなった。

 そして1996年といえば、高校生のギャル「コギャル」が出現。安室は、そんなコギャルたちにとってカリスマとなった。安室のファッションを真似た若者たちが続出し、「アムラー」と呼ばれたほか、学生服もミニスカート、ルーズソックス、ローファーが定番に。ルーズソックスがずり落ちないようにする液状糊、ソックタッチはギャルの必需品となった。

 そんなギャル文化の仕掛人的存在となったのが、前年創刊の雑誌『egg』である。女子高生らの声を吸い上げた企画を連発し、10代のリアルを切り取った。ちなみにSPEEDの音楽プロデュースを手掛けていた伊秩弘将も1996年8月、主宰するボーカル&ダンスユニット、HIMのプロデュースのもと、『egg』と連動したガールズユニット・HIM-eggをデビューさせている。そういったムーブメントもあり、この頃から「ブームは女子高生が作る」として、商品開発やマーケティングの場に女子高生を招き入れる企業もあらわれた。

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