乃木坂46にライバルグループが生まれるとしたら……可能性を大胆予想

 秋元康が、乃木坂46のライバルとなる新規グループを<エイベックス>と組んで制作することが文春オンラインの記事で報じられた(※1)。

 2005年にAKB48の総合プロデューサーに就任し、姉妹グループを続々と立ち上げ、2011年にAKB48の公式ライバルである乃木坂46を発足させるなど、アイドルグループのプロデューサーとして確固たる地位を築いた秋元康。AKB48は<ソニー・ミュージックエンタテインメント>(以下、SME)の<デフスターレコーズ>に2006年から2008年まで所属し、その後<キングレコード>に移籍してから大ヒットを記録。その後、AKB48のMV集『逃した魚たち~シングル·ビデオコレクション~』を<SME>からリリースする上での交換条件として、同レーベルと再びグループを作りたいと秋元康が要望を出したことで乃木坂46が誕生したとラジオにて明かしている(2012年6月17日/TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』より)。

 乃木坂46が結成された2011年は、『第3回AKB48選抜総選挙』で前田敦子がトップに返り咲いて「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」というスピーチを残し、22ndシングル『フライングゲット』がオリコンランキング史上初の発売初日ミリオンを達成するなどまさに絶頂期。当時はももいろクローバーZをはじめ、AKB48に追随するアイドルグループが次々と登場するアイドル戦国時代の真っ只中。秋元康が次の一手として考えたのが、“公式ライバル”としてAKB48のカウンター的要素を含んだグループを作ることだった。この流れには、予定調和を崩して新しいものを生み出すという、秋元康流のエンタメ制作における思想が感じられる。

 当初の乃木坂46は「コンセプトがないのがコンセプト」であったが、AKB48との差別化という考え方は一貫していた。劇場制度を取り入れず、メンバーもAKB48は個性がバラバラの親しみやすい存在、対して乃木坂46は清楚系の大人しいイメージでルックスにおいても一定の統制が感じられた。学校で例えると、AKB48はクラスの中心にいそうな生徒、乃木坂46はクラスの端っこにいそうな生徒といった印象だ。もう一つ差別化のわかりやすい例がグラビア活動などのメディア露出の違いだろう。AKB48はMVや雑誌のグラビアでも水着での撮影が頻繁に行われていた一方、乃木坂46は肌の露出は極力行わず、ファッション誌に進出することで女性ファンを獲得していくというブランディングの違いが見受けられる。また、劇場制度はなかったものの『16人のプリンシパル』という舞台での活動を行ったほか、SKE48 松井玲奈と乃木坂46 生駒里奈の交換留学など、AKB48での経験や関係性を活かしたプロモーションも行っていた。

 そして2015年、乃木坂46がシーンに浸透する中で、そのカウンターのごとく欅坂46が誕生。秋元康グループには創成期を担う絶対的なセンターが存在する。AKB48の前田敦子、乃木坂46の生駒里奈、そして欅坂46の平手友梨奈だ。後に欅坂46と袂を分けた日向坂46(当初はけやき坂46)が登場。日向坂46もまた櫻坂46とは逆を行くアイドルグループに成長し、小坂菜緒というセンターも登場するが、いずれのセンターにも共通しているのが元気で明るい普遍的なアイドル性を押すのではなく、どこか影を感じさせる人間味にカリスマが宿るような面々をピックアップしていることだ。

 乃木坂46は昨年、10周年を迎えた。“10年目の挑戦”と銘打ってリリースされたシングル曲「Actually…」では、加入したての5期生 中西アルノをセンターに抜擢。乃木坂46楽曲とは一線を画すメッセージ性の強い歌詞、どこか欅坂46の楽曲をイメージさせるパフォーマンスなどはファンの間で話題を呼んだ。その前にリリースした小室哲哉サウンドメイクによる「Route 246」にせよ、一つのアイドルの“正解”を作るまでに成熟した乃木坂46に対して、予定調和を崩す秋元康なりのカンフル剤的なアプローチだったのかもしれない。

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