ゲスの極み乙女、ステージ上で提示した結成10年の軌跡と“解体”の真意
ゲスの極み乙女。のバンド結成から、今年で10年が経った。4人は、結成翌年の2013年から、主にロックシーンを中心に怒涛の快進撃を見せていたため、「まだ結成して10年しか経っていないのか」と驚くリスナーも多いと思う。一方で、彼らがシーンに登場した時の鮮烈なインパクトが強く記憶に残っている人にとっては、「もう10年も経ったのか」という感慨もあるだろう。いずれにせよ、ゲスの極み乙女。が、日本の音楽シーンに対して新しいポップミュージック観を提案し続けてきたこの10年間は、とてつもなく濃厚で、濃密な日々だったのだと改めて思う。
6月18日、幕張メッセのイベントホールで開催された結成10周年記念公演『解体』は、これまでの10年間の変遷を時系列で振り返っていく趣旨のもので、バンドにとってもファンにとっても、非常にメモリアルな時間となった。なお、今回のコンセプト「解体」に則り、ステージの背景には、赤、青、緑、黄のブロックを模した巨大セットが組まれており、ステージ下手には、巨大なクレーンのオブジェが配置されていた。まさに、アリーナ公演だからこそ実現した遊び心溢れる演出だ。(ちなみに、公演タイトルの「解体」に込められた意味は、ライブの終盤で明らかになる)
今回の公演の口火を切ったのは、キャリア初期の代表曲「ぶらっくパレード」であった。その後も、「キラーボール」や「猟奇的なキスを私にして」といったキラーチューンたちが間髪入れずに畳み掛けられていく。近年のライブではあり得ようもなかった怒涛の展開である。特に、「私以外私じゃないの」「ロマンスがありあまる」「オトナチック」の3連打は本当に凄まじかった。
説明が前後してしまったが(そして、多くの読者にとっては、もはや説明不要かもしれないが)、ゲスの極み乙女。は、ロックやポップス、ジャズ、ファンク、クラシックをはじめとした数々のジャンルを軽やかに往来しながら、もはや"ゲスの極み乙女。"としか呼びようのない唯一無二の音楽性を打ち立ててきたバンドである。それぞれの楽曲に膨大な情報量が込められているにもかかわらず、ライブ全体を通して、ちぐはぐさや矛盾を感じさせることはないから不思議だ。
しかも、単体のアルバムを軸としたライブならまだしも、10年間の歴史を総括する今回の公演においても、その印象は全く変わらなかった。それはつまり、バンド活動の初期の時点で、彼らの表現はすでに一つの完成を迎えていた、ということなのだと思う。そして恐ろしいことに、今回の公演の序盤から中盤にかけて披露されたキャリア前半の楽曲たちは、今も決して色褪せることなくポップアンセムとして輝き続けている。川谷絵音(Vo/Gt)のポップの普遍的な本質を射抜く精度に、改めて驚かされた。
中盤以降に披露されたのは、「シアワセ林檎」「オンナは変わる」「人生の針」といった、2017年以降にリリースされた各アルバムを象徴するナンバーであった。先ほど、「バンド活動の初期の時点で、彼らの表現は既に一つの完成を迎えていた」と書いたが、しかし言うまでもなく、4人はその後も、あくなき好奇心と野心をもって、自分たちの表現を絶え間なく磨き続けてきた。フィジカルに直接訴えかけるような即効性を誇るダンスナンバーが多かった初期と比べ、少しずつ、心の深淵へ向けてじっくりとアプローチしていく繊細なナンバーも増えており、終盤に披露された、5月にリリースされたばかりの新曲「青い裸」は、まさにその真骨頂の楽曲だ。
そして、今回のライブを通して改めて強く感じたのは、このバンドが誇るエンターテイナーとしての矜持である。「ノーマルアタマ」や「私以外私じゃないの」では、ダンサーと共に楽曲が映し出す景色を鮮やかに彩り、また「シアワセ林檎」では、川谷とほな・いこか(Dr)がフロアの中央に伸びた花道の上から、華やかなデュエットで観客を魅了してみせた。(その間に代打としてドラマを担ったのは、indigo la Endの佐藤栄太郎であった)他にもハイライトを挙げていけばキリがないが、10年間応援してくれたファンを心から楽しませたい、という気合いと覚悟を、各楽曲の端々から感じ取ることができた。