花譜×長谷川白紙が探求した、歌声が持つ未知の可能性 意外な共通点も明らかになった「蕾に雷」コラボ対談
「根に持つタイプなのかな(笑)」(花譜)
ーータイトルや歌詞はどんなイメージで考えたんですか?
長谷川:花譜さんとお話をする中で、人間が想像するときの速度とか、深度みたいなものが曲のテーマになり得ると思ったんです。例えば、暗くて見えない場所に何があるのか想像したり、ここにあるものはどんな物体で、なぜそれを自分は見ているのかとか、そういった思考を張り巡らせるときの速度や深度というものが、ある一方から別の一方へと移るエネルギーの集積、もしくは編み込みなのではないかと思ったんですね。まず、そのイメージが“雷”と結びついたんです。そこから雷をインターネットで検索したときに、草冠をつけると“蕾”になるという記事を見つけて(笑)。
言語化される前の思考レベルにある、自分の意識の移り変わりが“雷”だとしたら、その中を流れるものは何であるべきなんだろうと考えたんですよね。そこに花が開花する前の状態にある“蕾”のイメージが重なったというか。作品を花に喩えるとき、開花した後のことが取り沙汰されることが多いと思うんです。要するに、言語化や表象化など、表に出すための作業が終わってからの状態に注目が集まってしまう。それなら、人に見せられる状態にない思考の速度や深度とは、一体どんなものなんだろうって思ったんです。
そう考えると、花譜さんが作品を出す時も完全にバーチャルな存在ではなく、花譜さんの身体や声質といったものから着想を得て結実したものが“花譜”という一つのペルソナを作っているのではないかと。そういった何かが出来上がるまでの“過程”に焦点を当てて歌詞を書き進めていった結果が「蕾に雷」です。
ーーお話を聞いて、何か行動する前に脳内で発生する電気信号のようなものをイメージしました。
長谷川:そうですね、原初のイメージはそれに近いものがあります。そこから雷そのものを一つのペルソナとして仮定するのですが、それが花譜さんにお願いした“電気の声”に繋がっています。
ーーそのイメージは、MVにも落とし込まれているというか、映像と合わせて聴くことで曲の解像度がグッと上がると思いました。花譜さんは、MVについてどんな印象を持ちましたか?
花譜:印象的だったのは、体が弾けて、別のものになって、また弾けてと繰り返すうちに境目があやふやになって、どんどん違うものに形を変えていくシーンが混沌としているなって。この曲を歌っている時も、私という存在がどんどん広がっていくような感覚があったんです。私には花譜(アバター)とは別に、もう一つ18年過ごしてきた身体があるんですけど、私の感覚だとそのふたつは横並びになっているというよりも、重なり合って融合しているような感じなんです。
ーーMVにも、花譜さんと子どもの花譜さんが登場して、その二人の指と指が触れ合って、境界線がなくなり、弾けるようなシーンがありましたが、今のお話と通じているような気がします。同時に、子どもの自分と大人の自分の関係性を表しているようにも見えたのですが。
花譜:そうかもしれないですね。例えば、昔あったことを思い出すと、その時と全く同じ感覚が蘇ってきて、「うわぁ!」ってなることがあって。恥ずかしかったことや悲しかったこと、怒った時のこととか、思い出すとその時のテンションのまま怒りたくなるんです。そういうことがあると、時間は経っていても、実際は子どもの頃から何も変わってないんじゃないかなって思うんです。
ーーその当時の気持ちを風化させることなく、そのまま表現に乗せることもできるというのは、歌手としての個性にも繋がるように思います。
花譜:歌う時も記憶を引っ張り出されることがめちゃくちゃありますね。根に持つタイプなのかな(笑)。
長谷川:その感覚すごくわかります! わたしも過去の恥ずかしかった記憶とか、道を歩いている時に急に思い出して、「うわっ!」ってなって、そのまま転んだりするんですよ(笑)。
「ルールがあったらわたしじゃなくなってしまう」(長谷川)
ーー(笑)。長谷川さんは、MVはいかがでしたか?
長谷川:スネアの連打が入っている部分で、子どもの花譜さんに翼が生えて浮き上がっているシーンがあるんですけど、あそこが個人的にすごく好きなんですよね。わたしの中での花譜さんは、時間的な枠組みでこちらが制御できるような存在ではないという印象があって。花譜さんが子どもであっても、18歳であっても、80歳であっても、そういう付加的な情報で縛られるような人ではない。映像の制作意図と合っているかはわからないですが、あのシーンはわたしが思っている花譜さん像と合致するなと。
花譜:長谷川さんは、どうしたら大人になると思いますか?
長谷川:どうすればなるんでしょうね……それは本当にわからないです(笑)。これができれば大人だよとか、まだまだ子どもだねとか言われるけど、それで悩むことが一番子どもっぽいのかもしれないとも思いますし。花譜さんはどう思いますか?
花譜:大人みたいな子どもとか、子どもみたいな大人っていると思うんです。それって、今までの経験や見聞きしてきたものの差でもあるのかなって。漠然とですが、経験値が多ければ多いほど大人に近づいていくんじゃないかなと思っています。
長谷川:確かにそれはありますね。思考の豊かさというか。でも、それなら花譜さんの思考は広いですよね。
花譜:そうなんですかね……長谷川さんこそ思考が豊かな人ですよね。
長谷川:いやいや、わたしは子どもだと思いますよ(笑)。わたしも花譜さんに聞きたいことがあって、「蕾に雷」を歌っている時に過去の記憶を思い出すとおっしゃっていたと思うのですが、具体的にどんな記憶だったか覚えていますか?
花譜:出来事というよりも、その時にあった感覚を思い出しているような感じに近いんです。ワナワナ震えるみたいな表現があると思うんですけど、その感覚を2番の電気が憑依するようなところで思い出しました。
長谷川:あそこの歌詞を電気が憑依したと捉えてくれるんですね。それはめちゃくちゃ嬉しいです。わたしの歌詞は、ともすれば分かりにくいというか、何を表しているのかわからないと言われることが多いんです。花譜さんの感覚は自分の意図と合致するんですけど、わたしが想像していなかった表現で解釈してくれているんだなと。
花譜;長谷川さんは、歌詞を書くときに何かルールはあるんですか?
長谷川:ないですね。ルールがあったらわたしじゃなくなってしまう気がして。おそらく、癖というか、わたしらしい言葉遣いやパターンみたいなものはあると思いますし、それを殊更に否定したい訳ではないのですが、共通のルールや縛りは設けないようにしようとは思っています。花譜さんは何かルールはあるんですか?
花譜:私の場合は、声はどうしたって変わらないものだと思うんです。変わらないからこそ、こういう歌い方をやってみようとか、色々なことに挑戦できるというか。
長谷川:確かに、花譜さんの歌声にはブレない基盤がありますよね。