88risingはなぜ欧米でポップカルチャーの覇権を握ったのか 立ち上げからコーチェラ出演までの歩みを振り返る
〈自分を見失いたくないんだ/君ならわかってるって知ってるよ〉
アメリカを拠点にアジア系アーティストの才能を広めてきたレーベル(メディアやコレクティブ、エンターテインメント企業など様々な呼び方があるが本稿では便宜上こう呼ぶ)<88rising>のオンラインイベント『Asia Rising Together』(2021年)のラストで初披露された「California (feat. Warren Hue)」(リッチ・ブライアン&ニキ)のコーラス(和訳)には、成功と不安、懐疑心が掻き混ぜられている。そう、この土地には、たくさんの夢が作られ、たくさんの人が夢を叶えてきたハリウッドがあり、ギャングスタ・ラップのメッカとして名高いコンプトンがあり、世界でも指折りの音楽の祭典『Coachella Valley Music and Arts Festival』、通称“コーチェラ”がある。そして、2022年のコーチェラでは<88rising>お抱えの、いわゆるハウス・アーティストが単独で複数ラインナップ(ニキ、リッチ・ブライアン、ジョージ)された他、メインステージで<88rising>としてショウケース『Head In The Clouds Forever』が披露され、大きな話題を呼んだ。
このステージの重要性を考える上で、レーベル<88rising>の歩みを振り返ってみたい。同レーベルは、Viceのエレクトロニック・ミュージック・プラットフォームである「Thump」を立ち上げたショーン・ミヤシロがその仕事を離れ、(共同創設者であるジェイソン・マーとともに)マネージメント会社「CXSHXNLY(キャッシュ・オンリー)」として2015年に設立。ショーンは世界的なヒットとなったキース・エイプ「It G Ma feat. JayAllDay, Loota, Okasian & Kohh」のリミックス制作に協力すると、2016年には<88rising>としてYouTubeに動画を投稿し始める。
それからの<88rising>の動きは特に目を見張るものがあった。ユーモラスな投稿でSNSを中心に人気を集めていたインドネシアの1人の少年、リッチ・チガ(後のリッチ・ブライアン)と手を組み「Dat $tick」をリリースすると、合わせてヒップホップ・カルチャーとアジア系オタクのステレオタイプなイメージをパロディ化したMVを発表。<88rising>のチャンネルではゴーストフェイス・キラ(Wu-Tang Clan)やゴールドリンク、トリー・レーンズら大物ヒップホップ・アーティストが同ビデオを絶賛するリアクション動画を公開。<88rising>は欧米のエキゾチズムを刺激しつつ、ヒップホップというカルチャー内で権威的な存在を巻き込むことで、着実にプロップスを築き上げていく。この段階では、まだオリエンタリズム的なマーケティングの範疇を出ていないようにも見えるが、アジアの膨大な人口をベースとしたマーケットの価値を欧米に対して認めさせるには十分だっただろう。これによってアジアと欧米のビジネス的な回路は着々と開きつつあった。
その上で、ショーンとリッチ・チガの判断はさらに冴える。彼らが向かったのは、K-POP的な“歌って踊れる”アーティストでも、欧米メインストリームに一方的に消費されるコラボアーティストの1人になることでもなかった(それらの方法は一時的かつ効果的に活用されている)。リッチ・チガ改めリッチ・ブライアンの音楽的才能が本物であることを示すウェルメイドな楽曲を続けてリリースし、1stアルバム『Amen』(2018年)は世界的にヒット(US Billboard 200でピーク時18位)。もちろんオフセット(Migos)の客演などもそれを手伝ってはいたが、アルバムの構成からもわかるように彼らは常に主導権を握り、あくまで音楽で勝負することを選んだのだ。また、ヒップホップの起源を考えれば、文化盗用の問題が複雑に絡み合ってくるが、アーティスト名の変更を含め様々な批判にほとんどリアルタイムで対応していたことも重要だろう。<88rising>は、周到な準備とリスクを孕んだ挑戦、そしてその成果によって、アジアと欧米の回路を拡張し、アジアと欧米の対等な共生関係を結んでいく。