シティポップ(再)入門:荒井由実『COBALT HOUR』 シティポップ史の華麗なる幕開けに相応しい傑作
日本国内で生まれた“シティポップ”と呼ばれる音楽が世界的に注目を集めるようになって久しい。それぞれの作品が評価されたり、認知されるまでの過程は千差万別だ。特に楽曲単位で言えば、カバーバージョンが大量に生まれミーム化するといったインターネットカルチャー特有の広がり方で再評価されるケースが次々登場している。オリジナル作品にたどり着かずとも曲を楽しむことが可能となったことで、それらがどのようなバックボーンを持ち、どのようにして世に生み出されたのかといった情報があまり知られていない場合も少なくない。
そこで、リアルサウンドではライター栗本斉氏による連載『シティポップ(再)入門』をスタートした。当時の状況を紐解きつつ、それぞれの作品がなぜ名曲・名盤となったのかを今一度掘り下げていく企画だ。毎回1曲及びその曲が収められているアルバムを取り上げ、歴史的な事実のみならず聴きどころについても丁寧にレビュー。当時を知る人、すでに興味を持ってさまざまな情報にふれている人はもちろん、当時を知らない人にとっても新たな音楽体験のガイドになるよう心がける。
連載第5回となる今回は、荒井由実『COBALT HOUR』。シュガー・ベイブ『SONGS』がリリースされた“シティポップ元年”とも言うべき1975年に生まれた、もうひとつの重要作について紹介したい。(編集部)
荒井由実『COBALT HOUR』
シティポップの始祖は誰なのか。そういった議論の中でいくつかの説がある。はっぴいえんどだという人もいれば、南佳孝のデビューがそれに当たると言われることも多い。シティポップという言葉自体が後付けだし、個々の解釈で構わないと思っているが、個人的にはシュガー・ベイブの『SONGS』(1975年)が元祖シティポップを象徴する一枚だと考えている。ポップな作風もそうだが、なんせ山下達郎と大貫妙子を輩出したという理由も大きい。そして、この1975年をシティポップ元年とするならば、この年にはもうひとつ非常に重要なアルバムがある。それが、荒井由実の3rdアルバム『COBALT HOUR』だ。
ユーミンこと荒井由実、そして結婚後は松任谷由実となった元祖シティポップ・クイーンの代表作を挙げるのはなかなか難しい。特に70年代から80年代にかけてリリースされていたアルバムはどれも傑作揃い。シティポップという観点から選ぶとすれば、ラテンの要素を取り入れた松任谷姓での初作『紅雀』(1978年)、リゾートをテーマにしたキャッチーな『SURF&SNOW』(1980年)、AORやブラック・コンテンポラリーの影響が感じられる『PEARL PIERCE』(1982年)などいくつも名盤が挙げられるが、これらの華やかな作品群の起点になるのが『COBALT HOUR』ではないかと思うのだ。
ユーミンは、1972年にシングル『返事はいらない』でデビューしている。翌1973年発表の1stアルバム『ひこうき雲』と2作目の『MISSLIM』(1974年)は、フォーク全盛だった当時の音楽シーンにおいては、驚くほど洗練されたシンガーソングライターの作品という印象が強い。「きっと言える」、「ベルベット・イースター」、「生まれた街で」、「海を見ていた午後」など多数の人気曲が初期2枚のアルバムには収められている。ただ、どこか内省的で私小説的な世界を描いた楽曲が多かったことも確かだ。よって、初期2作はシティポップというには少しトーンが落ち着き過ぎているように思う。それは、『MISSLIM』のジャケットに使われたモノクロのポートレート写真に象徴されているといっていいだろう。
しかし、1975年に入って発表された『COBALT HOUR』は前作から一転、ペーター佐藤が描いたカラフルなイラストのイメージ通り、歌う世界もモノトーンからフルカラーへと変化したような印象を受ける。まさに、シティポップの夜明けといった感覚だ。なかでも冒頭のアルバムタイトル曲「COBALT HOUR」は、彼女の楽曲ではそれまでになかった疾走感のあるファンキーなナンバーで、朝焼けに輝く首都高でのドライブを舞台にしたポップソングに仕上がっている。飛行機のエンジン音からスタートし、パーカッションやクラビネットを配したグルーヴィーなリズムセクション、キラキラと煌くような感覚のキーボードの音色、スピードを感じさせるスライドギターなどをバックに、曲調とサウンドが新しい時代の到来を感じさせるだろう。おそらく当時リアルタイムで聴いていた方も、この新感覚のオープニングにはワクワクさせられたはずだ。そして、エンディングの「アフリカへ行きたい」もエスニック風のポリリズムを導入したアグレッシブなビートが印象的で、しかもエンディングには冒頭と同じ飛行機のエンジン音で終わる。こういった遊び心も含め、明らかに1、2作目とはベクトルが違うと感じられるのだ。デビュー当時はひこうき雲を見上げていた少女が、本作ではアクティブにアフリカへ行こうとセスナに乗る。そんなストーリーの変化も、新しい方向性を象徴している。
一方、本作に収められた楽曲は、シティポップの切り口で語りたくなるナンバーが揃い踏みである。「卒業写真」は御存知の通り、ハイ・ファイ・セットに提供したメロウナンバーのセルフカバーだ。落ち着いたトーンはそれまでの作風にも近いが、洗練されたコーラスワークや、卒業後の甘酸っぱい再会をテーマにしたポップな世界観はカラフル。また、はねたリズムがキャッチーな「少しだけ片想い」には、山下達郎と吉田美奈子がキレのあるコーラスで参加している。The Beach Boys風のフレーズが出てくるのは、山下達郎のコーラスアレンジならでは。そして、その吉田美奈子はここに収められた「CHINESE SOUP」を自身の2ndアルバム『MINAKO』(1975年)でカバーしているのも有名だ。