ピーター・バラカンが語る映画『ジャズ・ロフト』 ユージン・スミスと共に蘇るジャズの一時代

ピーター・バラカンが語る『ジャズ・ロフト』

 リアルサウンド映画部のオリジナルPodcast番組『BARAKAN CINEMA DIARY』が配信中だ。ホストにNHKやTOKYO FM、InterFM897など多くのラジオ放送局でレギュラー番組を持つディスクジョッキー、ピーター・バラカン、聞き手にライターの黒田隆憲を迎え、作品にまつわる文化的 ・政治的背景、作品で使用されている音楽などについてのトークを展開している。

 第8回で取り上げたのは、映画『ジャズ・ロフト』。本作は、水俣病患者を捉えた写真集で世界に衝撃を与えたユージン・スミスが、1950年代半ばから住んでいたマンハッタンのロフトでの日々を記録した素材を基にしたドキュメンタリー。セロニアス・モンクやまだ名を馳せる前のカーラ・ブレイら多くのジャズミュージシャンの活動の日々が蘇る。そんな本作について、ユージン・スミスの写真の魅力、彼が記録したジャズミュージシャンたちの背景まで、バラカンがたっぷりと語っている。今回はその対談の模様の一部を書き起こし。続きはpodcastで楽しんでほしい。(編集部)

50年代の終わりから60年代のジャズが刻まれた一作

ピーター・バラカン(以下、バラカン):『ジャズ・ロフト』は、写真家のユージーン・スミスが1957年から住んでいたニューヨークのロフトを舞台にしたドキュメンタリー映画です。

黒田隆憲(以下、黒田):ユージーン・スミスは今年9月に公開された映画『MINAMATA―ミナマター』の主人公でもあり、水俣病に関する写真を撮って出版し、水俣病の問題を世界に広めた一人ですね。

バラカン:『MINAMATA―ミナマター』の最初の場面は、1971年にユージーン・スミスがまだこのロフトにギリギリ住んでいたとき、富士フイルムの方が彼にCM出演を依頼するシーンですね。そのときに通訳として来たのが、後に彼の妻となるアイリーン・美緒子・スミスです。出演交渉が終わった後、彼女は「私の地元の熊本ではこんなことが起きているんです」と水俣病に関するたくさんの資料を彼に渡します。その写真を見たユージン・スミスは心を打たれ、彼女に連絡をとって日本に行ったわけです。彼がそのとき住んでいたのが、『ジャズ・ロフト』で描かれているニューヨーク6番街の821という建物ですね。

 この場所に最初に入居したのは画家でした。このロフトは商業用のビルなので住居にすることは本来違法なのですが、スペースが広いし窓もあるのでアトリエとしては絶好の場所なんです。1950年代にはロフトに住んでいる人なんて誰もいなかったんですが、その画家はジャズ・ミュージシャンの友達がたくさんいたので、画材の他にアップライトのピアノも部屋に入れて、「みんなが演奏できるいい場所を見つけたよ」と誘ったんです。それから毎晩色々なジャズミュージシャンが出入りするようになったそうです。

 そして、1957年にユージーン・スミスが引っ越してきます。彼は既に有名なフォトジャーナリストで、第二次世界大戦では硫黄島に行き、沖縄戦でも従軍写真家として活動していました。当時、雑誌社で写真を扱うとなると、写真家がフィルムをまるごと渡して、現像もプリントもレイアウトも全て雑誌社が行うのが普通だったんですが、ユージーン・スミスは自分の焼き方にとてもこだわっていて、ある写真では印画紙を一箱250枚も使い切ってようやく自分が納得するものができたというエピソードもありました。

 画家がロフトを借りた後は、他のスペースもミュージシャンが借りるようになりました。50年代の終わりから60年代の頭にかけてはちょうどジャズが発展していった時代ですから、古いスタイルのジャズをやっている人もいれば、ビバップをやっている人、フリージャズの一歩手前のスタイルをやっている人などがみんな一緒に毎晩ジャム・セッションをやっていたようです。ただ、そのビルがおんぼろで暗くて……出口を確認してから入る人もいたそうです(笑)。50年代や60年代のニューヨークのダウンタウンですから、想像を絶するほどだったんでしょう。

黒田:ユージーン・スミスはそんな場所にずっと住んでいたんですね。



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