yamaの歌声を目の前で聴いて 初ツアー『meaning of life』が告げた新時代のはじまり
「最後の曲です」「ありがとうございました」
yamaが発した言葉はたった二言。ステージのトータルタイムもほぼ60分といったところか。とはいえ、永遠にも一瞬にも感じられた60分だった。
yama初となるライブツアー『meaning of life』。その渋谷クラブクアトロ公演の第1部へと足を運んだ事実に、終演から数時間経った今も夢見心地な気分でいる。だが、普段はイヤフォンから聴こえてくるあの歌声は、マイクとスピーカーを通して、実際この耳に飛び込んできたのだ。音楽で、時にはテレビ、PC、スマホ越しでその存在を認識していたが、今日間違いなく、yamaは私たちの目の前にいた。
yamaがステージに姿を現して「a.m.3:21」を歌い出した瞬間から始まったライブは、yama自身がツアータイトルでもある『meaning of life』=「人生の意義」を確かめるような内容であった。それを支えたALIのメンバーら参加したバックバンドの卓越した演奏にも終始惚れ惚れしたが、そんな生楽器のアンサンブルの中、yamaのボーカルが一切埋もれなかったこともぜひ伝えたい。その声を直に聴いた者として言いたいのは、「歌っている」というよりは楽器等しく「言葉とメロディを鳴らしている」、そんな表現がしっくりとくる。
それは「bin」「優しい人」といった、今もYouTube上で聴ける楽曲が演奏されたときにも感じた。R&Bを下地にした骨太のグルーヴを、まるで撫でるかのように軽やかに乗りこなすyamaのボーカルは、むしろ楽器以上にグルーヴを生んでいた。さらに、小気味良いBPMで空間を支配する「ねむるまち」では、yamaが高低問わず、幅広い音域にて曲を形付けられることを証明。「歌が上手い」「声が魅力的」ーーそんなお決まりの感想は、yamaには通用しない。
緩やかなピアノの前奏から始まった「麻痺」。バンドの演奏のみに意識を絞ると、疾走感溢れるロックナンバーにも聴こえる。だが、yamaが発する言葉の抑揚とメロディがまた別のエッセンスを楽曲に与える。単なるソリッドな楽曲ではない、それこそ会場全体が痺れるような臨場感が鼓膜を震わせる。
ふと思う。私たちはなぜyamaの声/曲を繰り返し聴きたくなるのか? それは名だたるボーカリスト、シンガーたちも持ち合わせる、異常なまでの“情感”がその声に宿っているからではないか。テクニックではない。言葉を、音を、音色を人の記憶や心に直接叩き込むことができる声。それは「タルト」「真っ白」といったメロウな楽曲から強く感じた。一筋縄ではいかない愛憎、時間や四季をまたいで伝えるささやかな幸福。そんな目には見えない、ひとつとして同じ答えがない感情を、yamaは一人ひとりの記憶から引っ張り出す。その声が持つ圧倒的な“情感”は、世代も性別も身分も、ましてや聴く環境すら飛び越えるのだ。