村井邦彦×川添象郎「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談 第2弾
『6人を乗せた馬車』と伊藤貞司とのジャムセッション
村井:その頃のロサンゼルスってどうだった? 僕が初めてLAに来たのは1970年で、その頃でも結構のんびりしていたんだけど、1960年といえば、もっとのんびりしていたんじゃないかな?
川添:もうなんにもない、ひどい街だなって思った(笑)。たまたま俺は親父の関係でビバリーヒルズに住まわせてもらったから、まあまあ快適に暮らせたけど、とにかく街に出たら何もないんだ。だだっ広いだけで。
村井:そう、だだっ広くてなんにもない。
川添:ワンブロックが500mくらいあるから、歩けないしさ。
村井:歩けない。歩いて移動する街じゃないよね。僕も最初は変なところだなって思ったんだけど、妙な経緯から住むことになっちゃってさ。もう30年近くになる。だから人生って分からないよね。
川添:そうだね。LAでもビバリーヒルズで暮らしている分には、少し和やかだよね。
村井:僕、ここは木が生えているから最初から好きだったの。
川添:そうそう、確かにビバリーヒルズは木が生えている。ダウンタウンは木がないね。
村井:もともと砂漠だったんだもん。ラスベガスみたいな土地に、世界中からいろんな木を持ってきて、何も考えないで無理やり植えたんだよ。だからアフリカの木もあるし、南アメリカのもあるし、中国の木もある。森林学者が来ると「ありえない!」って目を回すって。
川添:「なんでこんなのが一緒にあるんだ!」って話でしょう?
村井:そう。それでね、いま連載している『モンパルナス1934』の「エピソード2」では、川添紫郎(浩史の本名)さんがいよいよマルセイユに着くんだよね。マルセイユから汽車に乗ってカンヌに行くんだけど、その間に怪しい男に尾けられていて、それを俊足で振り切っちゃう場面が出てくるわけ。今は小説を書き進めながら紫郎さんのキャラクターを作っている段階だけど、いろんな資料を見るとね、相当に足が速かったらしいんだよ。
川添:そうだよ、足速いよ、あの人。
村井:100m走は12秒を切ったって書いてあった。
川添:かなりの俊足だね、それは。
村井:すごいんだよ。だからそんな情報を生かして、追跡してくる男を走力で振り切っちゃうとか、サスペンスの要素を入れたんだ。でも、よくわからないところもたくさんあるから、想像で「川添紫郎像」を作らなきゃいけないんだよね。
川添:それにしても、よく調べているよね。
村井:共著者の吉田俊宏さんの調査力がすごいんだよ。調べた情報は押さえながら、2人で想像力を駆使して小説として面白く読んでもらえるように工夫しているんだ。
川添:続きが楽しみだな。
村井:ありがとう。もう少し、象ちゃんの思い出話をしてほしいな。日本に帰ってきて、僕と出会うところまで話そうか。自分でお金を貯めて、ニューヨークに行って、ちゃんと自分で家賃も払っていたんだよね。
川添:あのね、うちの親父の友達で、東京オリンピックの開会式の演出をした伊藤さんって知っているでしょう?
村井:ああ、ダンサーの伊藤道郎さん。歌手で俳優だったジェリー伊藤のお父さんだよね。
川添:そうそう。道郎さんは伊藤為吉っていう有名な建築家の次男で、五男が舞台美術の超有名な重鎮だった伊藤熹朔さん、六男は千田是也さんっていう超有名な演出家で……。
村井:すごいファミリーだよね。
川添:うん。その芸術一家の四男の伊藤裕司さんがニューヨークに住んでいて、ブロードウェイの舞台の仕事をしていたわけ。俺は裕司さんのお宅に3~4カ月ぐらいかな、居候させてもらったの。そこの長男が作曲家の伊藤貞司だったんだ。
村井:ああ、そうなんだ。じゃあジェリー伊藤と伊藤貞司は従兄弟に当たるわけだね。
川添:そういうこと。
村井:貞司とハーブ・アルパート(トランペット奏者、作曲家、A&Mレコード創立者の一人)も確か親戚じゃなかったかな。
川添:ええー、それは全然知らなかったな。伊藤貞司のことはね、ニューヨークに行く前に義母のタンタン(川添梶子)から聞いていたの。アヅマカブキのニューヨーク公演かなんかの時にね、うちの親父もタンタンも伊藤裕司さんや貞司と会っているんだ。それでタンタンがニューヨークにすごく綺麗な顔をしたかっこいい音楽家がいるからぜひ会いなさいって言っていて、それが貞司だったの。
村井:うんうん。
川添:俺が伊藤家に居候して2日目くらいに貞司が現れてさ、お互いに挨拶して「君、ギターを弾くんだって? じゃあ一緒にやろうよ」ってすごく親切にしてくれたわけ。それで貞司が作曲した『6人を乗せた馬車』のミュージシャンとして雇われたわけよ。俺は伊藤家に3~4カ月いた後、グリニッジ・ヴィレッジにアパートを借りて住むようになって、フラメンコに遭遇して、一生懸命練習していたらすごく上手くなった。このあたりの経緯は、前回の対談で話したよね。それで「なかなかやるね」っていうことで雇われたんじゃないかな。
村井:貞司はどこに住んでいたの?
川添:貞司もグリニッジ・ヴィレッジのどこかに住んでいたよ。ゲイルって名前の奥さんがいたね。俺はいつも貞司の家に遊びに行って、もう1人、黒人のホセ・リッチっていう男がいて……。
村井:『6人を乗せた馬車』で演奏していた人だよね。
川添:そうそう。だから貞司とホセと俺でしょっちゅうジャムセッションをやっていたわけ。その3人で『6人を乗せた馬車』の音楽をやったんだ。
村井:チームワークはバッチリだね。
川添:そうだね。貞司にはいろんなことを教わった。リズムの取り方とかね。あの人はハイチ(カリブ海の島国)のドラムの名手だから。ハイチに暮らしていて、いろいろ宗教的なドラミングを身につけたんじゃないかな。
村井:象ちゃん、あれは覚えているかなあ。象ちゃんが帰ってきてさ、僕がアルファミュージックを始めた1969年か70年くらいに貞司が日本に来ていたんだよ。僕は筝曲家の桜井英顕と一緒に『須磨の嵐』っていうレコードを作ったんだけれど、貞司に客演してもらったんだ。ハイチのドラムをたたいてくれたの。首から吊るしてさ、左と右で大きさの違う……。
川添:覚えているよ。あれはトーキングドラムだよ。ジャングルとジャングルの間で、通信手段に使っていたらしいよ。
村井:そうなの?
川添:その民族が話す言語と非常によく似ていて「そっちにイノシシ逃げたぞ、捕まえろ」「分かった」みたいなやり取りをしていたわけよ。トーキングドラムはアフリカの楽器だね。
村井:僕、あれがハイチのドラムだと思っていたけど、違うんだね。
川添:これはアフリカのトーキングドラムだって、貞司は言っていたよ。
村井:じゃあ『須磨の嵐』の録音はトーキングドラムでやったんだな。ハイチのドラムはどういうものなの?
川添:ハイチにはいろんな種類のドラムがあってね、どれもすごく宗教がかっているのよ。海の神様に捧げるドラミングとか、山の神様に捧げるとかさ。
村井:へえー。形状としてはボンゴとかコンガみたいに縦に置くの?
川添:いや、いろんな形状がある。膝の上に置いて左手でこっち側、右手でこっち側をたたくとか。例えば、貞司が俺にスティックを渡して6/8のリズムを延々と刻ませるわけよ。するとそこにホセがコンガみたいな太鼓で入ってくる。しばらくすると貞司がトーキングドラムかなんかで、その半分のリズムで入ってくるんだ。3人のアンサンブルになるんだけど、すごく楽しいよ。
村井:面白そうだねえ。
川添:貞司は「象、絶対にテンポを外すな」って言うのよ。「俺たちはお前に合わせているんだから、お前が狂うと滅茶苦茶になっちゃう。だから、しっかりたたけ」って。それで集中して、しっかりたたいていたら「なんだ、お前、それじゃ死んでいるじゃないかよ」って言うの。
村井:なかなか厳しいね。
川添:「ノリが大事なんだから」って話でさ。それはそうなんだろうけど、いろんなこと言うなよって話なんだよね(笑)。
村井:じゃあ、何十分も同じフレーズをやっていたわけ?
川添:俺はずっと6/8をたたき続けて、それに乗せてジャムセッションみたいな感じでホセと貞司がいろんなことをやるの。だから乗ってくるとすごく楽しいわけ。
村井:今度会ったらやろうか、それ。
川添:ははは。
村井:面白いねえ。
川添:俺は少年時代、親父の川添浩史とあまり接触がなかったんだよね。浩史がタンタンと結婚した後、ようやく一緒に暮らすようになったんだけど、すぐにロサンゼルスとかニューヨークに行っちゃったからね。でも、親父の教育はそういう現場でいろんな人に会っているうちになんとかなるさって感じだったんじゃないかな。
村井:そうだね。象ちゃんはそれに応えていて、偉いよ、本当に。いきなりラスベガスに放り込まれて、心細くなかった?
川添:結構、楽しかったよ。それにセットを作るにしても、舞台監督をやるにしても、ちゃんと仕事だったじゃない。ただブラブラしているわけじゃないから、生活にリズムがあった。英語なんか3カ月くらいでペラペラになっちゃったから、良かったんじゃないの。
村井:若いってすごいね。
川添:うん、全くだね。クニもパリに行ってフランス語が上達したんじゃない?
村井:子供の頃にやっていたから、かなり思い出したな。
川添:語学って勉強するんじゃなくて、ノリみたいなので覚えていくのが早いよね。
村井:仕事で覚えるのが一番早いね。話さないと何も動かないから。
川添:全くそうだね。動かない。何も始まらない。
村井:うん。ああ、そろそろ時間だね。象ちゃん、今回もいろいろな話をありがとう。
川添:どういたしまして。楽しかったよ。