村井邦彦×松任谷由実「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談

村井邦彦×松任谷由実 特別対談

 リアルサウンド新連載『モンパルナス1934〜キャンティ前史〜』の執筆のために、著者の村井邦彦と吉田俊宏は現在、様々な関係者に話を聞いている。その取材の内容を対談企画として記事化したのが、この「メイキング・オブ・モンパルナス1934」だ。

 第一回の細野晴臣第二回の川添象郎に続き、第三回のゲストには村井邦彦が世に送り出したシンガーソングライターの松任谷由実(当時、荒井由実)が登場。今回の対談では、2020年12月1日に発売された松任谷由実の新アルバム『深海の街』に触れつつ、ふたりが出会った頃の日々を振り返りながら、キャンティの創設者である川添浩史の妻、川添梶子とのエピソードやその人柄について語り合った。(編集部)

※メイン写真:1976年、村井邦彦と松任谷由実の記者会見の模様

1920年に思いを馳せて

村井:あっ、ユーミンがマスクしてる。ロサンゼルスまで飛沫は届かないと思うよ。

ユーミン:ふふふ。別にしなくても大丈夫ですけどね。そちらの感染状況はどうですか。

村井:カリフォルニア州はひどくてね。累積感染者数は200万人に迫る勢いだし、死者は2万人を超えているんだよ。だから外出禁止、レストランも出前以外は全部だめ、学校も休み。床屋にも行けないんだ。

ユーミン:そんなにひどいんですか。

村井:うん。先日、ユーミンのニューアルバム『深海の街』のDVD付きバージョンを取り寄せて聴かせてもらいましたよ。

ユーミン:本当に? ありがとうございます。

村井:「知らないどうし」のミュージックビデオは面白かったな。監督はマンタ(松任谷正隆)だよね。彼は初監督なの?

ユーミン:そうなんです。

村井:才能あるよ、彼。

ユーミン:そうですか! ずっと街の中を走っている主役の男性がいるでしょう。玉塚元一さんっていって、有名な経営者なんですよ。ユニクロ(ファーストリテイリング)の社長をやって、その後にローソンの社長になったりして。

村井:俳優かなと思っていたけど、経営者なんだ。味のある人だね。

ユーミン:本物の俳優だとアメコミ(アメリカンコミック)の感じが出ないからって、松任谷(正隆)が口説き落としてやってもらったみたいです。

松任谷由実 – 知らないどうし

村井:『深海の街』を手にした時、まず目に留まったのは冒頭の「1920」だね。お母さまが生まれた1920年を意味しているんですって?

ユーミン:今年(2020年)で100歳になったんです。

村井:すごいね。100年前にもスペイン風邪が世界的に流行ったんだよね。

ユーミン:そうですね。スペイン風邪が流行し、ベルギーでアントワープ・オリンピックが開かれた。第一次世界大戦の直後で、ドイツやオーストリア、ハンガリー、トルコといった敗戦国は出られないから、閑散としていたらしいですよ。当時の二大人気スポーツは自転車、テニスだそうです。よく「狂騒の20年代」といわれますが、その時代にテニスコートって、何だか似合いますよね……って私が勝手に思っているんですけど。

村井:ああ、そうだね。テニスの黄金時代は20年代だもんね。

ユーミン:スポーツファッションの発祥が1920年代らしいです。フランスのテニス選手だったルネ・ラコステが、ポロ選手の着ていた服、いわゆるポロシャツですね、あれをテニスコートで着るようになったのが20年代で……。

村井:ああ、そうか、それでラコステ・ブランドが始まるんだね。そうだ、忘れないうちにお礼を言っておかなくちゃ。2015年のアルファミュージックライブではすごくお世話になったね。

ユーミン:とんでもない。

村井:ユーミンの発案でオーチャードホールのステージの床に紫色のじゅうたんを敷き詰めてね。

2015年、アルファミュージックライブの打ち上げの時に出演者全員のサイン入りのポスターがユーミンから村井にわたされた。撮影:ヒロ・ムライ

ユーミン:そうでしたっけ?

村井:そうだよ。ステージの後ろにオープンリールのテープをかたどった飾りをたくさんくっつけて。細野(晴臣)とか小坂忠とか大勢が集まってくれて、すごく楽しい同窓会ライブになったんだけど、2021年の僕の誕生日(3月4日)にDVDが出るんですよ。

ユーミン:松任谷がそのDVD用に寄稿したっていう文章をここに来る前に見せてもらいました。

村井:僕も読んだよ。何だか感動しちゃった。

ユーミン:文才のある人なんです。

村井:本当だね。ところでユーミンの曲は「1920」だけど、僕は『モンパルナス1934~キャンティ前史~』というタイトルで連載を始めたんです。

ユーミン:楽しみにしています。

村井:ありがとう。川添の象ちゃん(象郎)のお父さん、川添浩史さんの若い頃までさかのぼって、キャンティの前史を小説風に書いていきます。そのメインのストーリーとは別に、今やっているような対談を『メイキング・オブ・モンパルナス1934』として並行して載せていくつもりなんですよ。

ユーミン:「1934」は浩史さんの生まれ年ではなくて?

村井:生まれは1913年、パリに留学した年が1934年。浩史さんは早稲田高等学院に行っていたんだけど、学生運動をやって当局に捕まってしまうんです。

ユーミン:その時代の学生運動っていうと、テーマは何だろう。まだ安保の時代ではないし。

村井:その時代のインテリは全員マルキシズムにしびれるわけですよ。世の中を良くしようと思ったんじゃないの? ところが、次第にふつふつと疑念が湧き上がってくるんだね。特にソ連にスターリンみたいな独裁者が出てきて、ひどいことになってしまった。人々を幸せにするものだと思っていたのにね。川添さんの若い頃、マルキシズムにしびれて左翼運動に加わった人たちも、転向して極端な右翼になったり……。

ユーミン:転向しがちですよね。1970年代以降の「ヤンエグ(ヤング・エグゼクティブ)」と呼ばれた人たちだって「頭ヒッピー、体アイビー」みたいな感じがあったじゃないですか。

村井:あははは、うまいこと言うねえ。学生時代は左翼運動にのめりこんでいたのに、企業に入って資本主義の鬼みたいに変身するケースは多いよね。

ユーミン:そうですね。川添さんは左翼運動で日本を追い出されてパリへ行ったわけですか?

村井:うん。留学の裏にはそんな事情があったんだけど、川添さんはパリでいろんな面白い人たちに出会うんです。ル・コルビュジエの弟子になった建築家の坂倉準三さん、芸術は爆発だ!の岡本太郎さんとか、浩史さんと結婚するピアニストの原智恵子さんとか。そういう文化人の卵たちがモンパルナス界隈でわいわいやっていたわけですよ。

ユーミン:まだみんな学生ですよね?

村井:少し年上の人もいたけど、だいたい20代前半ぐらいで、うんと若かかった。そのグループにロバート・キャパという報道写真家も加わるんだけど、彼もハンガリーで左翼運動にかかわって国を追い出された経緯があって、川添さんと無二の親友になるんですよ。しかし戦争がみんなの運命を変えていくわけ。キャパはユダヤ人だから、パリにもいられなくなってアメリカに逃れる。アメリカ軍について行って戦場で撮影した中に、有名な「ノルマンディー上陸作戦」の写真があるんです。

ユーミン:川添さんは日本に戻ったんですよね。

村井:戦争が始まる少し前にね。戦争がキャパとの仲を引き裂いたともいえるね。戦後しばらくしてキャパが来日して、再会を果たすことになるんだけど。

ユーミン:原智恵子さんは?

村井:浩史さんとはパリで結婚しているから、一緒に帰国して1940年に象ちゃんを産んだわけ。原さんは一流のピアニストだから1日に6~8時間も練習するんだって。象ちゃんはお母さんが練習している間、ずっとピアノの下に潜り込んでペダルを見ていたから、孤独な子ども時代だったそうだよ(笑)。原さんはピアノ一筋で、だんだん夫婦の仲は疎遠になっていったらしいね。そんな時期に浩史さんは日本舞踊を世界に発信する「アヅマカブキ」の欧米ツアーに出て、ローマで梶子さんと出会うんだ。

ユーミン:原さんとは別れて、梶子さんと再婚する。

村井:そう。やがてキャンティが生まれ、僕も出入りするようになるんだけど、印象に残っているのは1969年に象ちゃんがブロードウェーから持ち込んだミュージカル『ヘアー』だな。

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