ギャラガー兄弟の物語はまだまだ続く 『アズ・イット・ワズ』で浮かび上がるリアムが愛される所以

ギャラガー兄弟の物語はまだまだ続く

 なるほど。この人は正直な人なのだな、と。そう思った。

 あまりにその時の自分に正直でありすぎて、ウソがつけない。場を盛り上げるために話が大げさになることはあっても、思ってもいないことを口に出すことはない。あまり深く考えずに感じたことをすぐ口に出し行動にも表すから、いろいろトラブルも起こすけれども、腹に一物あったり、言ってることとやってることが違ったり、裏表があったりすることはない。きっとそれは音楽をやる時も同じだ。25年前から同じだ。だからこの人はこんなにも多くの人びとに愛されるのだ。

 リアム・ギャラガーのオアシス解散後の歩みを追ったドキュメンタリー映画『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』を観て、今さらながら、そう感じた。『アズ・イット・ワズ』には、自分の素顔を、さまざまな雑音に隠されがちな自分の本当の姿を知ってもらいたいという意思が貫かれている。だからこそ彼を、彼の音楽を知る者は一度は観たほうがいいし、一度観れば誰でも、リアムはこういう奴なんだとわかる(と断言したい)。その率直さ、正直さ。「アズ・イット・ワズ(ありのままに)」というタイトルそのままの映画なのだ。

 『アズ・イット・ワズ』ではオアシス解散後の彼の歴史のさまざまな紆余曲折が語られる。一度は栄光を極めたスーパースターが、信頼しあっていたはずの仲間(リアムの場合「兄」だが)と袂を分かったことをきっかけに迷走・凋落し、引退を考えるほどに追い込まれ、だがそこから音楽の力を頼りに、周りの助けも借りて再生し、第二の頂点を極める……というストーリーは、ミュージシャンのドキュメンタリーとしてはよくあるパターンではある。

 なにもかもが順風満帆な右肩上がりの成功譚にはどこか人間味が薄く共感も感動もしにくいから、制作者はなんとかそこにドラマを作ろうとして、「挫折」だの「懊悩」だの「軋轢」だの「葛藤」だのといった要素を無理やり盛り込もうとする。だが『アズ・イット・ワズ』にはそんな作為は必要なかったはずだ。なぜならそれは、いつだって自分に正直に生きてきた彼を、彼の音楽を理解するために絶対不可欠な要素だから。

 彼を知る人であればあるほど驚くように、強気一辺倒、無敵の王様と思えたリアムが弱みをさらけ出し、どん底でもがき苦しむ様子があけすけに描かれる。なぜここまで赤裸々に描かれなければならなかったか。

 そもそもこの映画はソロ1stアルバム『As You Were』のメイキング映像の制作からスタートしたらしいが、その構想がどんどん膨らんでいった。彼にとって起死回生の一作となったこのアルバムがどんなアルバムで、彼にとってどんな意味がある作品なのか解き明かすためには、単にスタジオでの録音風景や通り一遍のインタビューだけではなく、オアシス解散以降の自分の紆余曲折を包み隠さず描く必要があると、アーティストも制作者も気付いたからだろう。だからこの映画を観る前と観た後では、『As You Were』の聞こえ方そのものが変わってくるのだ。

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