村井邦彦×松任谷由実「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談
川添梶子にかけられた言葉
村井:『MISSLIM』の撮影の時は、梶子さんといろんな話をしたの?
ユーミン:割と可愛がってもらって「うち、来なさいよ」とか言っていただいていたのでね。ただ、訪ねていっても「そこらで遊んでなさいよ」みたいな感じでしたけど。
村井:ユーミンのこと、好きだったからじゃないの?
ユーミン:あのね、なんか期待してくださっていた。
村井:才能を見抜いていたんだろうね。
ユーミン:そうですかね。そのピアノのあるアパルトマンまで訪ねて行った時、ちょうどテレビがついていて、当時抜群に人気のあった女性のアイドル歌手が出てきたんですよ。私が「わあ、すごーい」みたいなことを言ったら、梶子さんは「あなたはこんなもんじゃないわよ」って(笑)。あれはすごく励みになっています。
村井:やっぱり期待されていたんだ。
ユーミン:そうかも。
村井:梶子さんは18歳か19歳くらいで二科展に彫刻で入選して、彫刻を学ぶためにイタリアに留学しちゃうんだ。あれはすごいよ。戦後すぐの1947年ぐらいだから、まだ占領下にあって日本国のパスポートがないわけよ。進駐軍のヘッドクウォーター(総司令部、GHQ)から「Occupied Japan(占領下の日本)」のパスポートをもらわなくちゃいけない。
ユーミン:進駐軍と交渉するなんて大変ですよね。
村井:梶子さんは聖心女子学院を出て、英語が得意だったから、進駐軍専用劇場のアーニー・パイル(現在の東京宝塚劇場)に就職してアメリカ軍の将校の秘書になったらしいね。それで伝手があったんだろうな。イタリアで彫刻家のエミリオ・グレコに師事する。だから基本的には彫刻家だよね。衣類なんかは立体的なものじゃない?
ユーミン:そうですね。
村井:仲間の結婚式の衣装とかから始めて、ザ・タイガースのステージ衣装とかを手がけるようになったんだよね。
ユーミン:キャンティの1階で梶子さんがやっていたブティックのベビードールにもちょろちょろ遊びに行きました。竹ちゃん(竹山公士)がいて。
村井:竹ちゃんかあ、懐かしいな。ベビードールで梶子さんの助手としてデザインを担当していた竹山公士さんね。
ユーミン:そうそう。今でいうセレクトショップだったじゃないですか。
村井:うん。
ユーミン:あの店でちょろちょろしていると、梶子さんから「あなた、そんな安っぽいものを着ないで、10回我慢していい物を着なさい」と言われたことがあります。
村井:それ僕も言われたよ。当時流行っていたブランドの安いジャケットを着ていたら「ふん」って言われてさ(笑)。「こんなもの、着るんじゃないの」って叱られて、参ったなあって思ってさ(笑)。みんなに言っていたんだね、そんなふうに。
ユーミン:そうですね。
村井:自分の周りにいる人たちが綺麗な格好をしているのが好きなんだよ。そういえばユーミンもアートスクールだよね?
ユーミン:はい。多摩美(術大学)というところで……。
村井:結構、まじめにやっていたの?
ユーミン:まじめにやっていたんですよ、2年くらいは。受験のために。日本画なので準備はとても必要だったんですね。
村井:えーっ、日本画なの?
ユーミン:はい。大学に入ってからはほとんどまじめにやらなかったけど。
村井:『ひこうき雲』のアルバムに何か描いていたよね。
ユーミン:ブックレットに描きました。
村井:上手いなって思ったけど。
ユーミン:実は鉛筆なんだけど、エッチングみたいな仕上がりにしてもらったんです。地が黒い紙だったので。
村井:ああ、覚えてる。
ユーミン:宮崎駿監督の『風立ちぬ』というアニメーション映画がありますが、私がそのヒロインのモデルになったという説があるんです。ヒロインは麦わら帽子をかぶっているんですけど、『ひこうき雲』のブックレットに載せた写真の私も麦わら帽子でしょう。あれは花田さんのお宅で撮影したんですよ。村井さんは現場にいらっしゃらなかったと思うけど。
村井:軽井沢の?
ユーミン:そう。
村井:あの写真のユーミンが『風立ちぬ』のヒロインのモデルになったの?
ユーミン:そういう説がある。でも、自分でも整合性があるなと思うのは、その当時の私よりちょっと年上の男性方は病弱な少女が好きですよね。
村井:あははは。
ユーミン:高原のサナトリウムにいるような。
村井:そういう人もいるよね。堀辰雄なんかもそういうのが好きだったんだろうね。
ユーミン:宮崎監督たちもきっと好きなんですよ。私自身は全然そうじゃないんだけど。そういえば軽井沢で撮るって、村井さんのアイデアだったんじゃないですか?
村井:そうだよ。僕のアイデアで、僕の最初の奥さんが衣装を見立てた。
ユーミン:そうでしたね。でも、そういう虚像を作ったんですよ(笑)。
村井:ははは。ところで宮崎監督が種明かししたわけ? あなたがモデルなんだよって。
ユーミン:いろいろな状況証拠を照らし合わせると、どうやら誤解されているようですね。私自身の作られたイメージ、「ひこうき雲」のイメージが強くて。確かに作っている曲は、雲だの、雨だの、霧だのって、ファジーな、眠たいような、少しダークな曲だったじゃないですか。内省的というか。
村井:そうだね。僕は映画も見ましたけど、あれは1940年代の戦時中の話で、ユーミンの「ひこうき雲」は1970年代の曲なんだけど、ぴったり合っているんだよね。
ユーミン:本当にそうですねえ。寄せてくださったところもあります。
村井:向こうの方が?
ユーミン:うん。『風立ちぬ』は堀越二郎さんっていう零戦を設計した人の物語ですよね。そこに堀辰雄の『風立ちぬ』も取り入れられている。
村井:うん、うん。
ユーミン:堀越さんのお孫さんにお会いしましたけど、かくしゃくとされていて、この方のお祖父さまだから、本当に当時のエリートだったんだろうなと思いました。あの時代に航空力学とかやっちゃうんだから。
村井:実はね、僕の父も飛行機の設計をやっていたんですよ。
ユーミン:ええっ? そうなんですか。
村井:日大の工学部でね。当時、航空学科って日大と帝大ぐらいしかなかったのかな。それから海軍機関学校に行って技術将校になった。
ユーミン:当然、太平洋戦争にもかかわっていらっしゃる?
村井:うん。でも、設計だから前線には出ないんだけど。自分でも飛行機に乗ったしね。
ユーミン:そういえば、村井さんご自身が花田さんの別荘に住んでらした時期がありますよね。
村井:うん。15年くらい、軽井沢に住んでいました。
ユーミン:何度か遊びに行ったことありますよ。
村井:そうだっけ。ああ、思い出した。一緒に碓氷峠のてっぺんまで行ったね。テニスもやったかな。
ユーミン:私はできないんですけど、松任谷がやりましたね、テニスは。
村井:そうか、テニスはマンタとやったんだ。いろいろなことがあったよね。
ユーミン:1980年代前半の軽井沢ですよ。
村井:懐かしいねえ。梶子さんのことで、もっと思い出すことはある?
ユーミン:やっぱりベビードールだな。女性がマニッシュな(紳士風の)スーツを着ることが格好いいというのはその時に学びました。
村井:ユーミンが着ると、背が高いから格好いいんだ。脚が長いし。
ユーミン:そうですか? 竹ちゃんに作ってもらいました。チョークストライプのスーツ。
村井:ユーミンがチョークストライプを着ると、ますますスラッとして格好いいよね。
ユーミン:ありがたいことです。村井さん、テーラーとパーラーって人たちがいたでしょ。覚えていないですか(笑)。
村井:えーと、誰だっけ?
ユーミン:ご兄弟なんですよ。弟さんが喫茶店をされていて、お兄さんが村井さんのスーツを仕立てていた。
村井:ああ、テーラーってあだ名の。いた、いた、思い出した(笑)。
ユーミン:洋服屋と喫茶店の兄弟だからテーラー、パーラー。
村井:テーラーは腕が良かったんですよ。テーラーでは作らなかったの?
ユーミン:テーラーでは作らない。竹ちゃん(笑)。ちょっと訛っていていい人でした。そうだ、梶子さんから衝撃を受けたことがあるんですよ。
村井:何だろう。
ユーミン:ピアノのあるアパルトマンに遊びに行っていた時代ですけど、ある日、梶子さんに電話がかかってきて、どうやら相手は映画関係者らしいんです。梶子さんがすぐ誰かに電話をして「あなた、出ない?」とか「こういう映画があるんだけど、アフリカ行かない?」なんて話しているわけ。ほんの10分か15分でショーケン(萩原健一)がやってきた(笑)。
村井:そのアパートに?
ユーミン:そうそう。後に『アフリカの光』という映画になったんです。「映画って、こういうところで、こんなふうに決まっちゃうんだ。格好いいー」って思いました(笑)。
村井:あははは。でも、そういうものだと思わない?
ユーミン:うん、そうですよね。今なら分かるんだけど。
村井:当時はびっくりしたんだ(笑)。
ユーミン:びっくりしました。全身が好奇心みたいだったから、面白かったですね。