ゲスの極み乙女。『ストリーミング、CD、レコード』レビュー:混沌の先に広がる未来のJ-POP
ゲスの極み乙女。『ストリーミング、CD、レコード』は、彼らの過去作と同じ世界では語れないように思う。もはやこの作品は、私たちの想像が及ばない先を見据えているのではないだろうか。後々価値がわかる発明のように。川谷絵音はコロナ禍における生活様式の変化に対して「いつか来るべき未来が早まってきているだけ」と言っていた。彼はサブスクについてもかなり前から推進派だったが、先見の明、というとオカルトチックだが、そういう勘がある人なのだと筆者は思っている。
まず、本作の前提に「混沌」があるという話からしよう(メンバー自身もそう捉えている)。ここでいう「混沌」とは、全体が把握しづらい、だからこそ、個々が独立しており、自由というニュアンスだと思う。本作では断片的な歌詞も多く、これまでで最も歌詞がストレートではないアルバムという印象だ。また「普通の曲ならこのままサビだろう」と思うところで違っていたり、変拍子も多く、捉えにくさを感じるかもしれない。本作は大衆に媚びるわけでも、訴えるわけでもなく、「今はよくわからないかもしれないけど、こっちに来て」と招き入れるような雰囲気がある。
しかしあまりに「混沌」では何も伝わらない。本作を聴いて身体全体が揺さぶられるような感覚を覚え、美しいと思うのは、何か軸があるに違いない。一見解読不能な絵画を紐解く鍵が、「タイトル」にあるように。
本作に「ジャズっぽい」という感想を持った人もいるかもしれない。これはサウンド全体が技巧的で、何かが軸となり、それ以外は様々な旋律がパラレルに走っているような印象があるからだと思う。毎度アレンジが異なるジャズセッションのように、聴くたび各パートの工夫に気づかされる。弦や管楽器も豊富に取り入れられ、各パートが遊びまわっているようで小気味良い。
川谷は様々なバンドを兼務し、それらとの対比を通して「ゲスの極み乙女。とは何か」について、人一倍考えてきたと思う。そんな中「オールスター」バンドにするという方向性を感じたのは、昨年7月発表の「透明な嵐」だった。各メンバーが高い技術力を持って工夫を凝らし、競い合うように曲を展開する。それでいて揃うところを揃え、心地よい緩急を生んでいた。これを可能にしたもの、つまり混沌の中の軸とは、川谷が紡ぐコアでありながらキャッチーなメロディと、計算されたリズムだと考える。実際、本アルバムについて川谷は「特にビートは緻密に作っていきました」と語っている(関連:川谷絵音が語るゲスの極み乙女。の新基準、そして音楽における想像力の重要性「音楽が言葉を、歌詞を最強にする」)。それを証明するように、本作の立体感、ダイナミズムは信じられないほど素晴らしい。音に身を委ねていると、自分は一体どこにいるのだろうと、大げさではなく思う。バンドフォーマットのサウンドでこのような立体感を出したのは、前代未聞なのではないだろうか。
そもそもなぜ「混沌」が生じているのか。昨年一年間の川谷を見てきて、様々な概念を混ぜ合わせる才能に秀でていることを感じた。韻は踏んでいるけど、ラップではない。バンドだけど、ヒップホップ。メロディは切ないのに、歌詞は棘がある。本作でもそんな表現が随所に見られる。あまのじゃくとも言えるが、王道を地で行かないところが川谷にはある。それをもどかしく感じる時も正直あるのだが、川谷は様々な活動から吸収し、混ぜ合わせて創る。「混沌」こそが川谷のアイデンティティであり、「混沌」という名の「創造」こそが、川谷の音楽人生と言えるかもしれない。
ところで本作のタイトルは何だっただろうか。『ストリーミング、CD、レコード』。最初は何を表現しているのか掴みにくかった。ライブで発表された時も「あぁレコードも出すんだ! 良いね!」と思っていたらタイトルだった。昨今のサブスク社会において「アルバム」の価値はこれまでに比べて薄れていると感じる。単曲で音楽を楽しむ機会が増え、アルバム全体のムードを理解することが減った。そんな中、彼らはもはやそれを諦め、逆にこの「混沌」そのものをタイトルにしてしまった。「なんとなく決まった」そうだが、見事な感覚だと思う。言葉をストレートに放っているわけでもない、アルバムを通した一貫性を強く主張しているわけでもない。けれど言葉が音楽に乗り、美しいと感じる。ピンポイントにこのメロディ・歌詞が好きというより、曲全体として上質で満たされていくような感覚を覚える。だからこそ、本作は既存のリスナーを超え、より幅広い層、大衆に届く可能性を秘めている。彼らは自分たちを、そしてリスナーを信じて本作を提示したのではないだろうか。サブスクが普及した時代において、リスナー以上にアーティストが積極的に音楽の幅を広げているように思う。そしてコロナ禍の今において、その流れはより加速しているだろうと私は予想する。リスナー側もより想像力を鍛える時なのかもしれない。