音楽番組に訪れた一つの限界ーー“応援歌”を起点に均一化された2010年代を超えて

音楽番組に訪れた一つの限界とは

「すべての歌は、応援歌だ。」と2010年代の歌番組

 昨年の『第70回NHK紅白歌合戦』の副題が「すべての歌は、応援歌だ。」であることを知ったとき、これは絶妙なコピーだなと思った。今夏の東京五輪を意識して選ばれたと思われるこのフレーズが、実は2010年代の音楽番組の大きな流れを端的に示しているように感じたからである。

 「2010年代の音楽番組」と一言で言っても、たとえば『亀田音楽専門学校』や『関ジャム 完全燃SHOW』といった音楽の魅力を分析的に掘り下げる番組や『フリースタイルダンジョン』のような特定ジャンルの新たな楽しみ方を提示する番組など、その内実は多様である。ただ、『紅白歌合戦』や『ミュージックステーション』に代表されるような「アーティストの演奏を主体としたレガシーな音楽番組」に限ると、2010年代とは「あらゆる番組が「すべての歌は、応援歌だ。」を起点に均一化されていった時代」だと言えるのではないだろうか。

 2010年代という時代を振り返るうえで、2011年3月11日に起きた東日本大震災を外すことはできない。あの辛い出来事からちょうど1週間後の3月18日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でFUNKY MONKEY BABYSが予定を変更して1年前にリリースされていた「あとひとつ」を歌った。〈僕は信じているから 君もあきらめないでいて〉というポジティブに振り切ったメッセージが、たくさんの人々を奮い立たせた。また、3月27日に放送された『FNS音楽特別番組上を向いて歩こう ~うたでひとつになろう日本~』(フジテレビ系)では、多くのミュージシャンが過去の名曲を歌い上げながら連帯を呼びかけた。さらに、同年の夏には「一つになって歌の力でニッポンを元気づける」をコンセプトにした約8時間の大型歌番組『音楽の日』がTBSで放送された。

 日本社会における戦後最大の危機と言っても過言ではないような状況において、テレビは「応援歌」を通じて人々を勇気づけようとした。そして、この時の取り組みが、結果としてそれ以降の音楽番組のあり方を縛っていくことになる。

 「応援歌」として機能した過去の曲は、そのパワーを買われてそれ以降も音楽番組におけるメインコンテンツに居座り続けた。長尺の音楽番組はTBS以外でも定番となり、放送枠を手堅く埋めるための手段として「みんなが知っている古い曲」の価値がさらに高まった。「みんなが知っている古い曲」ばかりが続くとさすがに飽きがきてしまうので、その範疇での目新しさを出すために「懐かしい曲を意外なコラボレーションで見せる」という手法が一気に浸透した。

 懐メロ重視、放送時間大型化、コラボ主体。2010年代に定着した音楽番組に関するこれらのスタイルは、それぞれの要因が密接に絡み合うことで成立している。そしてその起点となったのは、「すべての歌は、応援歌だ。」という意識をベースとして音楽番組が活用された震災直後のテレビの状況である。

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