アイドル=少女というイメージは払拭できるか 乃木坂46らの功績と社会の現状から考える

 AKB48に代表される2010年代の女性グループアイドルシーンについて論じられるとき、その群像劇はしばしば「成長を見守る」ことを旨とするコンテンツとして解釈されてきた。芸能の入口に立つ人々を多く含んだ若年者たちによる表現の魅力のありかが語られるうえで、それはいかにも飲み込みやすい説明ではある。実際、彼女たちのパーソナリティが継続的に享受対象となるこのエンターテインメントにおいて、芸能者として成長してゆくプロセスや物語性が訴求力になってきたことは間違いない。

 「成長を見守る」といった視点でグループアイドルを枠付けることは、「未熟さを愛でる」ものとしてアイドルを捉えてゆくことにつながりやすい。加えて、グループアイドルの代表格として存在してきたAKB48が、学生服を着想元にした衣装をたびたび製作したことも、アイドルの表現に若さや未熟さのイメージを結びつける。

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 AKB48がその多様で繊細なプロダクトによって、アイドルの衣装文化の水準を押し上げ、豊かな視覚表現をもたらしたことの意義は小さく見積もるべきではない。他方で、学生服モチーフの衣装に印象的に用いられた赤基調のタータンチェックがほとんどグループアイドルを想起させる記号にまでなったように、グループアイドルをとりわけ学校的な「若さ」と親和性の高いものとして位置づけることにもなった。

 上記したこれらの要素は、女性アイドルがごく若年の刹那――いわば「少女」を表現するものであるというイメージをさらに強化してゆく。

 もっとも、AKB48グループがメンバーを循環させながら複合的なエンターテインメントの組織として今日の「アイドルグループ」のフォーマットを確立し、長期にわたって組織を運営しえたことで、「アイドル」という職能を長い年月継続するという選択肢はむしろ拓かれてもいる。10年前後の歳月を48グループで過ごし、「アイドル」の表現を洗練させながら芸能者としてのキャリアを重ねてゆく48メンバーやOGの事例からうかがえるのは、「少女」にとどまらない表現を獲得して以降の、成熟した立ち回りこそが支持を拡大する鍵になっているということだ。

 前回の記事で触れたように(AKB48、坂道グループ……今、世の中が求めるアイドルグループのあり方を改めて考える)、AKB48グループが整備したのは、メンバー個々人が自己表現の方法を模索するための、間口の広いフィールドであった。前回言及した指原莉乃であれ吉田朱里であれ、あるいは柏木由紀であれ、それぞれが自らの適性にかなう表現の方向を探り当てながら、卓越した発信力やバランス感覚によって支持を増やしポジションを築いてきた者たちである。彼女たちのアウトプットはおよそ「未熟さを愛でる」たぐいのそれではない。

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 また、メンバーが基本的に固定されている少人数グループについていえば、同じく2010年代のアイドルシーンを歩み、やがて無二の位置を手にしたNegiccoやPerfumeといったグループは、原則的にはグループアイドルとしての表現形式を保ちながら、「少女」の表現であることを必然としない円熟した作品やパフォーマンスを自らのものにして久しい。あるいは、2011年に結成された乃木坂46は長年のキャリアを経たのち、その代表的な表現の射程が「少女」を超えた普遍性を持った2010年代終盤に、社会的に巨大な存在となり女性アイドルシーンの中心に立った。

 こうした現在地をみるとき、「少女」としての表現は、いまだ女性アイドルグループの代表的なイメージあるいはステレオタイプではあれ、必ずしも実像を十全に説明しうるような要素ではなくなっていることが垣間見える。

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