アイドル=少女というイメージは払拭できるか 乃木坂46らの功績と社会の現状から考える

 それでもなお、きわめて若年の一刹那を表現するものとしてのアイドルのイメージは強固ではある。ライブMCやバラエティ番組などで年長メンバーが“高齢”であることがからかわれたり自虐的に言及されたりする慣習は、なによりこの社会全体が温存してきてしまったエイジズムの反映といえるが、それらはアイドルの表現が「少女」というイメージに還元され続けることで、より保持されやすくなる。社会の空気として年齢を「いじる」ふるまいが流通している以上、アイドル個々人がさしあたりその流れに順応することは、現在を生きていくためのリアリティたらざるをえない。だからこそ、その旧弊を乗り越えてゆく作業は、特定のアイドル個々人だけではなく周囲を含めて集合的になされるべきであろう。それは、「少女」の表象のみに還元されない今日の女性アイドルのアウトプットを捉える上で、状況の更新の一助となるはずだ。

乃木坂46『Sing Out!』(通常盤)

 付言するならば、年齢にかかわらずアイドルと「未熟さ」のイメージとが結びつけられやすいのは、アイドルという職能の性質のわかりにくさにもよっている。ミュージシャンや俳優、モデルといった既存の特定ジャンルの専従者であれば、その人物に熟練のスペシャリストとしてのイメージを見出すことはたやすい。しかし、アイドルは一見それらと並列するジャンルのようであるが、その実、時機に応じて他の既存ジャンルをそのつど横断してアイコンを演じるという性格をもっており、やや位相の異なる職能である。加えて、音楽に関していえば、楽曲について自作自演でないことが“主体性”の有無の論拠として想定され、その基準をもとにアイドル/アーティストという実りの乏しい二分法が設定されることもいまだ少なくない。

 アイドルが既存ジャンルを横断してゆくのは、先述のように自己表現の方向性を模索するための営為でもある。しかし同時に、もとより求めに応じていくつもの水準において即座にアイコンを演じ続けてみせるという営み自体が、アイドルという職能のプロフェッショナル性である。特定の既存分野への専従とは異なるその実践のうちに、技術的な洗練も平衡感覚も、“主体性”も見出しうる。おそらくは、今日的なアイドルという職能の性格については、その意義や可能性を包括して整理するような言葉が、まだ充分に紡がれていない。アイドルの職業的性格が理解され難いのは、そうした解読や批評的な言語の追いつかなさのためでもあるだろう。

 その意味では、キャリアを重ねて円熟をみせるグループが「少女」の表象を超えたアウトプットをみせる機会が多い現在は、アイドルという実践の熟練性や可能性を発見しやすい時期といえる。それは、アイドルの職能を語る言葉を更新する好機でもあるのかもしれない。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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