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『分離派の夏』インタビュー

小袋成彬が明かす、“シンガーソングライター”としての目覚め「洋楽を焼き増していくのが無理だってわかった」

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宇多田ヒカル
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 小袋成彬が彼自身の名義での初のアルバム『分離派の夏』を出した。僕は小袋くんとは彼が中心メンバーでもあるレーベル〈Tokyo Recordings〉への取材がきっかけで仲良くなった。繋いでくれたのは元WIRED編集長の若林恵さんとWIRED編集部の矢代くんだ。それ以来、何度か会っているが、彼のことは前から、不思議な人だなと思っていた。明らかにアーティスト側の人間なのに、アーティストっぽい自意識が全く見えなくて、なんというか“不気味”だった。宇多田ヒカルとのコラボレーションが収録された『Fantôme』が出た頃、たまたま仕事で対談をしたが、その時も不思議な人という印象は変わらなかった。

 『分離派の夏』を聴いてみたときに、その素晴らしさと同時に、なにか違和感のようなものを感じた。サウンド的には小袋くんらしいセンスに溢れていたけど、その音楽が持っている空気や姿勢、佇まいみたいなものに関しては「これは僕が知っている小袋くんではないかもしれない」と思うような感覚が音楽の中にあって、もやもやしていた。取材の場に行って、実際に顔を合わせてみたら、目の前にいる小袋くんはやはり、これまでとは何かが決定的に変わっていた。とりあえず、僕は彼がアーティストとしての自分に対して、これまでどんなことを考えていた人で、それが今、どんなことを考えるようになったのかというような、彼自身の変化について聞かないと何も始まらないなと思った。それはお互いを知っている間柄というある種の特権を使ったやり方で、インタビュー手法としてはずるいよなと思いつつも、それを聞くことにしか関心が持てなくなっていた。その時点で、僕は宇多田ヒカルのこともクリス・デイヴのことも完全に忘れてしまっていた。(柳樂光隆)

「他者がいる世界に向けた曲づくりを一切したくなくなった」

ーーこれまでにも自分の作品を作ろうと思えばいつでも作れたし、出そうと思えたら出せたはずなのに出さなかった。だから、そこの話から始めたいんですよ。まずは動機を知りたくて。そもそもこれって、誰かのために作ったものなんですか?

小袋成彬(以下、小袋):いや、自分のためです。

ーーでも、過去には自分のために作ろうと思ったことはないんですよね。

小袋:ないです。歌いたいことがなかったんです。

ーーその「歌いたいこと」っていうのは音楽的なこと? それともメッセージ的なこと?

小袋:両方ですね。どんな音楽をしたいというのもなかったし、あまりポップミュージックっていうか、楽しげなものを作れる自信もなかったし、歌いたいメッセージみたいなこともなかったし、だから作らなかったんです。

ーーN.O.R.K.(2013年結成のR&Bユニット)はやってたじゃないですか。

小袋:あれは就職を失敗した時に、音楽なら今のところ他の人よりも抜きん出てるかなって思ったんです。聴いていた音楽の量も多かったし。だから、そこで勝負するための名刺が必要だと思って、N.O.R.K.をやってたというか。あそこに精神的な闘争は何もないです。

ーー僕は前から小袋くんのことを知ってるけど、アーティスト的な自意識が伝わってこない人だなと思ってたんですよ。

小袋:そうでしょうね(笑)。

ーー小袋くんもそうだけど、〈Tokyo Recordings〉の小島くん(小島裕規・Yaffle)も含めて、アーティスト的な自意識があまり感じられない、不思議な人たちですよね。でも、明らかにアーティスト側の人間なんですよ。音楽をすごく真剣に作っているし、プロデュース仕事もやっていたじゃないですか。あれはどういうモチベーションなんですか?

小袋:あれは……サークル的な感覚に近いです。今っぽい音を研究して、研究成果を形にするもので。コンサルタント的とも言い換えられるかもしれませんが、「今っぽい音にしたいんだけど、アーティスト性も大事にしてほしい」みたいな注文を、自分たちの知識と技術で解決していく感覚です。

ーー以前に行った、〈Tokyo Recordings〉の中心メンバーである小袋くん、小島くん、酒本(信太)くんへのインタビューを読み直してみたんだけど、本当にそんな感じなんですよね。最近聴いているリファレンスから面白いものを作って、かつクライアントの要求に合わせるというのはわかる。でも、小袋くんはシンガーだっていう自意識もあるんでしょう?

小袋:その頃は全くなかったですよ。レーベルオーナーっていう気持ちもなかったです。ただの音楽オタクという感じで。

ーー確かに、N.O.R.K.の人だと思って取材に行ったら、シンガーの自意識が全く見えてこないから不思議だったんですよ。でも、当時からいろんなところで歌ってたじゃないですか。代表的なものだと、環ROY×Taquwami×OBKR「ゆめのあと」とか。

小袋:あれはオファーをいただいたからであって、自分から始めたものではないんです。

ーーなるほど。本当に〈Tokyo Recordings〉って不思議で、綿めぐみや水曜日のカンパネラの楽曲でも、プロデューサー側に「自分を出そう」っていう気が見えないんですよ。つまり、あれはアーティストじゃなくて、プロデューサーに徹していたわけですよね。

小袋:そうです。

ーーでも、少しは自分のエゴを出したいという欲望が出たりするのが普通じゃないですか。

小袋:まさにその通りで、だんだん出てくるようになったんですよ。小島くんは僕なんかよりも分析がうまくって、論理的で学者タイプだし、僕はどっちかと言うと討論家に近いかもしれないです。答えはどっちでも良くて、プロセスの方が大事。だからどう作るかの方が楽しいわけで、それが売れようがどうしようが関係ないというか、二択があると楽しい方に進んじゃうタイプなので。もう一人の酒本は完全な芸術家タイプで、お金の頓着もなく、今は入間の山奥に住んでいるんですよ。〈Tokyo Recordings〉はその3人がお互いのいいところを補完し合ってた感覚に近かったんです。

ーーなるほど。

小袋:そのなかで、僕はだんだん酒本に毒されたり(笑)、宇多田ヒカルさんに出会ったのも大きかったんだと思います。チャートを意識したり、社会ないしは他者がいる世界に向けた曲づくりを一切したくなくなったんですよ。本当に興味がなくなってしまった。そもそも金に頓着もないし、自己顕示欲もない方なので、どうでもよくなって、そこから友だちとも全く会わなくなって、自分の曲作りに没頭していたんです。

ーーそれはいつ頃?

小袋:1年半ぐらい前です。『Fantôme』に参加するよりも前の話ですね。

ーーまだ『分離派の夏』の企画自体が立ち上がる前?

小袋:話すらきてなかった頃ですね。

ーー小袋くんに初めて会ったとき、営業マンや広告代理店の人っぽいというか、明らかにアーティスト側の人間なのに、企画を立てて回していく側の人みたいだなと思ったんですよ。すごく他者の側のことを考えている人間に見えたのが、ある種不気味にも見えたというか。

小袋:でも、取り繕ってたわけでもなかったんですよ。その頃は興味がプロデュースとか、レーベルにめちゃくちゃ向いてただけなので。

ーーそんな人が突如自分のために曲作りを始めたわけで。まずはどういう作業から始めたんですか?

小袋:そもそも大学時代から、日記を書くのが日課だったんです。それを曲作りにも使おうと思って、何にもないけど、とにかく毎日書いたところから自分が歌いたいことを探していました。でも、だんだん歌いたいことを探すこと自体が間違っているなって気づき始めて。歌わなければならないことや、日記に書き切れない思いとか、こみ上げた感情とか、そういうものを拾わない限りは絶対にダメだと思い始めたんですよね。それがだんだん歌になっていくという感覚でした。

ーー今は主に歌詞の話をしてくれてると思うけど、その日記的な作業の中ではメロディやコードも書いていたり?

小袋:それはないですね。僕は記譜ができないので、メロディは感覚的なものでしかなくて、身体で浮かんだものをボイスメモに残しておいて、トラックを後からつけていくみたいなスタイルをとっていました。

ーー「歌わなきゃいけないもの」に焦点がバシッと合い始めたのはいつ頃?

小袋:仕事もせずに、とにかく曲ばかり作っていたんですけど、並行してピアノを練習するようにもなっていて。指が動かないんで、四和音のままでただ平行移動するのを練習してて、このまま移動するとマイナーに行って、またメジャーコードに戻ってというだけだから、メジャーコードのなかで動くように練習をしていて。その時に下げていく練習をしていたら、なんかいいなという感じがした瞬間があって、そこで出てきた四つのコードが「Daydreaming in Guam」という曲になったんです。

ーーなるほど。

小袋:その音の響きを聴いたときに、突然、昔の友だちを思い出して、没頭するように曲を作ったんです、気付いたら朝だったんですけど、できた瞬間に涙が止まらなくなって。それは僕にとって初めての感覚で、天啓と言っても過言ではないぐらいのものでした。その時点ではすっきりしたような気持ちだったんですけど、酒本へ送ったらすぐに返事が来て。あいつはめったに褒めないんですけど「これは素晴らしい」「こんな曲は聴いたことがない」って言ってくれて、その返事を受けて込み上げてくるものがありました。その昔の友だちはもういないんですけど、彼が俺に歌えって言ってたんだとしか思えなくなってきて、突然パンドラの箱を開けちゃったみたいに、その日はずっと泣いていたんですよ。そこから、「俺はもう歌うしかない」ってはっきりと自覚したんですよね。今までは実務的なものが好きだったし、営業も苦じゃないし、梶井基次郎の『檸檬』とか見ても「レモンって(笑)」とか思っていたタイプなんですけど、一気にグワーッと来たんですよ。

ーー以前に取材した時は、ギターを弾いていたじゃないですか。今回、ギターを主体にしていない曲が多いのが印象的だったんですけど、鍵盤の話を聞いてなるほどと思いました。

小袋:ギターは普通に弾けちゃうから、発想がつまんなくなっちゃうのかもしれないと思い、違う発想で作ってみたんです。

ーーその時の取材で、Flying Lotusの『You’re Dead!』の曲は、鍵盤よりもギターのほうが弾きやすいという話をしていたのがすごく印象に残っていて。

小袋:今回も半分くらいはギターですけどね。

ーーでも、普通にギターをジャカジャカと弾き語るようなことはしていないですよね。

小袋:日本語詞でそれをやると、どうしてもJ-POP然としちゃうんですよ。だから、アルペジオを使ったりしました。あと、当時は知らない弾き方をすることにハマってたんですよ。いろんな押さえ方を勉強してて、たとえば、マイナーセブンスを別の方法で押さえるとか。そういう同じフレットでもいろんな弾き方と表現ができることに目覚めて、「Summer Reminds Me」「Selfish」はそういうやり方で作った曲ですね。Gからいかにあまり動かずに弾けるか、ということを意識して作った曲です。

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