globeはJ-POPに何をもたらした? 柴那典が『Remode 2』から小室哲哉の功績を読む

globeはJ-POPに何をもたらした?

 小室哲哉は、間違いなく「時代」というものを体現していた。

 音楽がカルチャーのど真ん中にあった90年代。その時に彼が生んだ数々の輝きは、決して色褪せたり消え去ったりするものではなく、時を経ても人々の記憶に残り続けるものだった。

 ちょっと大袈裟な言い方になってしまったが、先日、そう改めて実感する体験があった。7月18日に放送された『2016 FNSうたの夏まつり』(フジテレビ系)で「小室哲哉90年代スーパーヒットメドレー」と題したコラボ&カバー企画を目の当たりにしたとき。キーボードを弾く小室哲哉と共にTRFや華原朋美、そして水樹奈々や島袋寛子など数々の歌手が入れ替わり登場して歌った8曲は、11時間の生放送の中でもハイライトの一つと言えるような盛り上がりだった。

 筆者はその日、FOD(フジテレビオンデマンド)の番組『心のベストテン』の特別企画でスタジオからの裏実況を担当していた。その企画の中で演奏を終えたばかりのタイミングで直接インタビューさせていただく機会があったのだが、その時に聞いた話が、またとても興味深かった。

 強く印象に残ったのは、プロデューサーとして数々のヒット曲を送り出してきた小室哲哉という人の中でも、globeは特別な位置にあったんだ、ということ。

 デビュー20周年を迎えて様々なプロジェクトを行ってきたglobe。そして8月3日には、その締めくくりとして代表曲をリプロダクトしたアルバム『Remode 2』がリリースされる。それを目前にしたタイミングということもあったのかもしれないが、やはりTM NETWORKと並び自身が多くの人生を費やしたglobeには、当初からかなりの覚悟をもって臨んでいたということが、その言葉からは感じられた。

 「自分の最高傑作はどの曲だと思いますか?」という問いには、「あの曲がベストだということはないんですけれど−−」と前置きしつつも、「やっぱり、何がなんでも売らなきゃいけないという使命感があったという意味では『Feel Like dance』ですね」と答えてくれた。

 「Feel Like dance」は95年8月にリリースされたglobeのデビュー曲だ。すでにTRFや篠原涼子、浜田雅功とのH Jungle With tなど数々のヒット曲を送り出した後に、自らがメンバーとしてデビューする。その時点で抱えていた重圧はとても大きかったようだ。

「相当考えました。苦しかった。大変だったと思います。でも、僕の声、マークのラップ、KEIKOの声が重なって、最後に転調で上がっていく。それを聴いた時に『あ、これはいけたかな』と思いました」

 こんな風に、曲ができた時の手応えを語ってくれた。

 そして、「自分ではすごくよくできた曲だと思うのにそんなに売れなかったと思う曲は?」という問いには、「それは沢山ありますよ」と言いつつ、やはり真っ先に挙げたのはglobeの「Many Classic Moments」だった。

 この曲がリリースされたのは2002年。当時のセールスはオリコンチャート24位と、全盛期に比べて落ち込んでいる。背景にあったのは時代の変化だ。特に決め手となったのは1998年の宇多田ヒカルのデビューだった。小室哲哉自身も、デビュー曲の「Automatic」を初めて聴いた時のことを「これで時代が変わっていくんだなって感じましたね」と振り返っていた。

 globeがJ-POPのマーケットにおいて最前線に立っていたのは95年から2000年までの5年間だった。デビューから400万枚を突破し当時の売上記録を塗り替えた1stアルバム『globe』からベスト盤『CRUISE RECORD 1995-2000』まで。小室哲哉自身は、その期間を「とんでもない5年間だった。あそこに凝縮されていたと思います」と振り返る。そして、彼はその後のglobeを自らの「実験場」と位置づけていた。

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