globeはJ-POPに何をもたらした? 柴那典が『Remode 2』から小室哲哉の功績を読む

globeはJ-POPに何をもたらした?

 筆者にとって、95年から2000年は、10代から20代前半の頃にあたる。当時は、正直、そこまで熱心にglobeを追ってはいなかった。カラオケやテレビや街中から聴こえてくるヒットソングというイメージしか持っていなかった。リアルタイムで夢中になっていたのは、UKやUSのオルタナティブなロック、「渋谷系」と称されていた都市型ポップスが主だった。あの当時、そういう音楽を好むリスナーは、意識的に売れているものを遠ざける傾向があった。その頃の筆者も案の定そうだった。

 しかし、今改めて聴くと、globeというグループが担っていた90年代の空気というものの正体が見えてくる。そのキーワードは「ロック」だ。小室哲哉が手掛けた数々のプロジェクトの中でも、最も意識的にロック色の強い音楽性を押し出していったのがglobeだった。もちろん音楽性のベースはダンス・ミュージックにあるのだが、特に2ndアルバムの『FACES PLACES』は、歪んだギターの音色を多用し、彼自身も最もロック的な一枚と振り返るアルバムだった。

 そしてそれは、90年代の世界的な音楽シーンの潮流とも同時代性を持つものだった。90年代は、USではニルヴァーナを筆頭にグランジやオルタナティブ・ロックがシーンの中心となり、UKではオアシスやブラーを筆頭に数々のロックバンドたちが全盛期を迎えていた時代だ。ケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムやアンダーワールドなども登場して喝采を浴び、ロックとダンス・ミュージックも接近し融合していた。

 globeがここまで意識的にロック×ダンス・ミュージックを打ち出した理由はどこにあったのか。その背景には、60年代や70年代のアメリカンロックをルーツに育ったマーク・パンサーと、その影響でロックに傾倒したKEIKOの存在も大きかったはずだ。もちろん、小室哲哉自身の嗅覚もあっただろう。以前の原稿でも書いたが(参考:globeカバーベストに見る色褪せないポップ性——HYDE、浜崎あゆみ、木村カエラらが歌う名曲から読み解く)、小室哲哉は最近のインタビューで、初期のKEIKOにパンク・バンド、ノー・ダウトのヴォーカリストだったグウェン・ステファニーのイメージを重ね合わせていたことを明かしている。

 そして今。時代は巡り、00年代以降は、90年代のようにロックが海外のポップ・ミュージックの市場のメインストリームをしめることは少なくなった。60’sロックンロールや80’sポスト・パンクのリバイバルに終始した00年代のUSやUKロックの風潮、インディの狭いコミュニティに安住するようになった2010年代のUSロックの風潮を尻目に、アメリカのポップの王道はほぼR&Bとヒップホップが占めるようになった。かつてのスタジアム・ロックが担っていたような数万人を一つにする興奮は、バンドではなく、EDMのDJ 達が担うようになった。

 アルバム『Remode 2』を聴くと、そういう時代性の変化が強く感じられる。KEIKOの歌声はそのままに、サウンドは「EDM以降の時代」「R&B以降の時代」に合わせ、しかしglobeがもともと持っていたロック×ダンス・ミュージックのテイストを失わないよう絶妙にアップデートされている。ミドルテンポの四つ打ちの原曲を、ブルーノ・マーズやファレル・ウィリアムスあたりに通じるような横ノリのカッティング・ギターで蘇らせた「DEPARTURES」が最も象徴的だ。

 90年代のJ-POPは、小室哲哉の時代だった。そして90年代は海外でもロックとダンス・ミュージックの融合がメインストリームとなった(今のところ)最後の時代だった。

 globeの功績は、実は、テレビやカラオケで流れるJ-POPのヒット曲とそういうグローバルな潮流を結びつけたところにあったのかもしれない。『2016 FNSうたの夏まつり』での「小室哲哉90年代スーパーヒットメドレー」、そして『Remode 2』を前に、そういうことを改めて感じてしまった。

■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」Twitter

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