マキタスポーツがV系バンドで体現する『矛と盾』とは? 矢野利裕が作品の“たくらみ”を読む

 Fly or Dieが先日、初となるアルバム『矛と盾』を発表した。Fly or Dieは、お笑い芸人のみならずミュージシャンや俳優など多方面で活躍するマキタスポーツが率いる「日本最高齢」のヴィジュアル系バンドで、『ゴッドタン』(テレビ東京)への出演やフェスへの参加などの活躍が知られている。そんなFly or Dieの初アルバムは、楽曲からコンセプトから、さまざまな試みとたくらみに満ちており、聴くごとに新しい発見がある。くりかえし聴くことによって自分のなかの解釈が重なり、いつのまにか愛聴してしまっている。本作は、そういうアルバムだ。そもそも、『矛と盾』という意味深なアルバムタイトルも、さまざまな深読みと解釈を誘う。Fly or Dieが体現する「矛盾」とはなにか。とりあえず基本線を示しておこう。

 マキタスポーツと同様、芸人ながら音楽活動もする、ダイノジの大谷ノブ彦はしばしば、「芸能とは嘘の共有である」と言う。コントもお芝居もそうだが、嘘に決まっている設定を受け入れたうえで笑ったり感動したりできるのがすぐれた芸能だ、ということだ。本作のオープニングを飾る「約束」という曲は、そのことを強く示す。すなわち、「グッと来るような嘘/もっと退屈な現実夢見せましょう」と。芸人として出発したマキタスポーツがヴィジュアル系バンドという様式を選ぶ理由は、おそらくここにある。「嘘」と「夢」を見せるという意味において、ヴィジュアル系という様式ほど強い芸能はないのだ(強度面で匹敵するのは、ディズニーランドとかそれを意識したSEKAI NO OWARIとかアイドルとかか)。マキタスポーツ自身、「今やビジュアル系とは非常に優れた「芸能の様式」であり、既に音楽の一様式を示す言葉ではないのです」(『すべてのJ-POPはパクリである』扶桑社)と言っている。しかし見逃せないのは、「約束」という曲のなかで同時に、「約束」を「お約束」と言い換え、その「つまらない予定調和」性を指摘していることである。そうなのだ、強い形式性はともすれば「予定調和」に陥りやすいのだ。このことに自覚的であることが、マキタスポーツのマキタスポーツたるゆえんである。したがって、Fly or Dieにおける「矛盾」とはなにより、「夢」と「予定調和」という相反する性質を両立しようとする態度――すなわち、すぐれて芸能的であろうとする態度の表明である。

 だから、Fly or Dieの活動は、お笑いも含めたマキタスポーツの芸能活動の一環として捉えるべきだ。また、ヴィジュアル系というのも単なる音楽性の問題にとどまらない。というか、本作の音楽性はとても多様である。加えて言えば、多様な音楽を披露しながらも、不穏なギターや喉をしめた発声などヴィジュアル系の記号がちりばめられているのが、本作のユニークな特徴である。それは、「ヴィジュアル系」という容れ物がどこまで形式として強いのか、その限界を果敢に探っているようである。若い男性でなくても、なお「ヴィジュアル系」たりえるのか。耽美的な音楽でなくても、なお「ヴィジュアル系」たりえるのか。もし「ヴィジュアル系」たりえるのだとすれば、そのとき「ヴィジュアル系」を支える条件はなんなのか。Fly or Dieの、「ヴィジュアル系」というバンドの前提を問い直しながら、なお「ヴィジュアル系」として進んでいく、という「矛盾」を抱えた姿は、真摯であり、個人的には胸に迫るものがある。

 音楽的な多彩さはすぐに示される。「約束」こそヴィジュアル系作詞作曲モノマネのような感じだが、続く「ダーク・スターの誕生」は、いわゆるヴィジュアル系的な楽曲ではない。むしろ、ベイ・シティ・ローラーズあたりを想起させるさわやかなポップスで、ヴィジュアル系に焦がれる人たちに対する応援歌になっている。あるいは、ダークネスというマキタスポーツの異名を踏まえれば、Fly or Dieの舞台裏を見せているとも取れる内容になっている。「怨歌~あんたじゃなけりゃ」は、演歌風に始まるもののすぐにネオロカのようなノリになり、EGO-WRAPPIN'などを連想させつつ、昭和歌謡の雰囲気を演出する。ダークネスの声がすごくハマった好曲だ。他にも本作には、アニソン歌手の鈴木このみをフィーチャーした「残響FANATIC BRAVE HEART featuring 鈴木このみ」や、大森靖子が作詞を手がけた「あいしてみやがれ」など、本作はとてもバラエティに富んでいる。もちろん、そのような音楽的な多彩さが、各メンバーの高い演奏技術に支えられていることは言うまでもない。とくに「あいしてみやがれ」のファンキーで爽快な演奏(序盤のギター!)など、ストレートなロックでありながらポップさもあって良い。そして、大事なことは、こうやってさまざまな音楽が一枚のアルバムに並ぶこと自体が、「ヴィジュアル系」という形式の強さに支えられているということだ。企画/規格がしっかりしていればしているほど、許容量は大きくなる。アニメ映画『かいけつぞろり うちゅうの勇者たち』という企画/規格から生まれた「とぅ・び・こん・にゅ」という曲は、その最たるものだろう。ロックから演歌からシャレたR&Bまで、分裂的に音楽ジャンルを飛び越えるこの曲は、アニメの主題歌という企画/規格を盾にとった、おそるべき奇曲である。

 そんな多彩な楽曲を抱える本作だが、一貫するものがあるとすれば、それは水商売感とでも言うべきものである。マキタスポーツ本人もしばしば、「水商売」というキーワードを口にするが、ヴィジュアル系も含め日本のポップスが、いや、日本の芸能が本来的にもっている水商売感が、本作では大事にされている印象がある。それは、カラオケとスナックとライブハウスが連続的につながる「矛と盾」のPVを観れば一目瞭然だし、その「矛と盾」のサウンド自体、軽薄なレゲエ風味と「オーエーオ」というフックが、バブルガム・ブラザーズの「WON'T BE LONG」(『マキタスポーツラジオ はたらくおじさん』(ラジオ日本)のエンディング曲でもあった)を思わせる。「WON'T BE LONG」こそは、日本ポピュラー音楽史上随一の(?)芸能感と水商売感が剥き出しになった曲だ。スタイルはまったく違えど、「WON'T BE LONG」の芸能としての問答無用の強さみたいなものは、ある意味、Fly or Dieが目指したものなのかもしれない。そして、現在、その感じを狙った音楽というのは、実は多くないのだ。音楽における、良い具合の芸能成分が足りないと感じている筆者にとしては貴重である。しかも、それをヴィジュアル系というかたちで体現するとは。もちろんこのことは、音楽性の軽視を意味しない。そもそも、企画性と音楽性が対立するかのような発想自体が間違いなのである。かつてマキタスポーツにエールを送った大瀧詠一による一連のノベルティものを思い出そう。むしろ、形式性こそがグッド・ミュージックを喚起するヒントだ。打破されるべき「矛と盾」はここにもあるのだ。まったく、引っ込み思案なアーティストか、もしくは、音楽をナメた芸能ばかりなのだから。その点、注目すべきは「愛は猿さ」だろう。「愛は猿さ」は、「猿さ」と「サルサ」をかけたヴィジュアル系版リズム歌謡である。ヴィジュアル系の色気とラテン系の色気が重なった曲で、個人的には本作でいちばん好きである。しかも、日本の歌謡曲にずっと流れているところのラテンを取り入れることで、水商売感をも見事に演出している。「愛は猿さ」はその意味で、本作のハイライトである。

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