ふかわりょう、二丁拳銃・小堀、ダイノジ、やついいちろう……芸人とDJの親和性

 お笑い芸人でありながらクラブや音楽イベントでDJもこなす“芸人DJ”たち。彼らの存在は、いまや音楽ファンの間では当たり前となりつつある。既存のイベントにゲスト出演するのみならず、時には自ら企画として立ち回る様は、むしろ、本業よりも力を入れているのでは? と思えるほど。立派に“二足のわらじ”を履きこなしている。

 その先駆け的存在となったのは、ふかわりょうだ。シュールなあるあるネタで一世を風靡していた彼が、「ROCKETMAN」として音楽活動を開始したのは1998年。当初はピチカート・ファイヴのメンバーだった小西康陽とのユニットだった。その後「ROCKETMAN」はふかわ個人名義となり、日本各地のクラブでDJ活動を行う傍ら、5枚のアルバムをリリース。2010年には、配信限定シングル『dancemusic』がiTunes Storeの総合チャート1位となったり、プロデュース業にも進出するなど、華々しい成果を収めてもいる。プレイスタイルはハウスやエレクトロを基調としたダンスサウンド。現在は「ryo fukawa」名義での活動をメインとしており、サウンドクラウドなどに楽曲を発表したりと精力的に活動中だが、彼の場合は、もはやDJからすらも進化を遂げ、クリエイターと名乗ってしかるべき次元へと到達した感も。いずれにせよ、彼の存在が「芸人がDJをする」というスタイルが浸透するきっかけとなったことは間違いない。

 いわゆるクラブ寄りの芸人DJの走りがふかわなら、ロックで忘れてはならないのが「二丁拳銃」の小堀裕之ではなかろうか。コンビ名も「THE BLUE HEARTS」の楽曲の歌詞から取ったという筋金入りの音楽ファンだった小堀もまた、90年代後半からライブハウスのイベント等でゲストDJとして活躍。昭和の懐メロから現役バンドのロックまで、時代も世代も飛び越えた選曲の妙にファンは多い。特に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「COUNTDOWN JAPAN」へは初期より参加しているため、両フェスの参加者にはおなじみだろう。今でこそ、音楽好きを公表するお笑い芸人は多いが、2000年代初期にはまだまだ珍しかった中での小堀の存在は、今になってみるとある意味草分けだったとも言えなくもない。また、こういった都市型フェスの隆盛や音楽イベントの多様性が、のちの芸人DJを育む素地となったのではないかとも思われる。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる