松尾潔が明かす、R&Bの歴史を“メロウ”に語る理由「偶然見つけたその人の真実も尊重したい」

松尾潔がR&Bの歴史を“メロウ”に語る理由

小説というフォーマット

――西寺郷太さんの『プリンス論』なんかも、自分の経験を主体的に交えながら対象を論じているという点でちょっと似た感じがあるかなと思いました。あの本も書き手が作り手だから成立している面があって、評論家だとちょっとできない。評論家というのは基本的には観客の立場だから、主観を重ねるのには無理があるんですよね。

松尾:90年代に『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』という雑誌に連載していたときも同じようなタッチで書いていたんですが、評判はあまりよくなかったです(笑)。最近になって「愛読してました」とおっしゃる方がたに出会うことも増えましたが、当時は「また自分のことを書いている」という悪評ばかりが耳に届いてましたね。

 でも、音楽プロデューサーという立場になると、同じようなことを書いているのに、「松尾さんの作る音楽の源はこれだったんですね!」と言われる。それは先ほど栗原さんがおっしゃった通りかもしれないですね。

――内容の善し悪しがすべてってよく言いますけど、実際は、話す人の立場や来歴って判断にすごく影響してきますよね。

松尾:そういうことはありますよね。かつて平井堅さんをプロデュースしたときに、メイズという黒人コミュニティ御用達バンドの中心人物、フランキー・ビヴァリーをイメージ・サンプリングしました。平井さんの『gaining through losing』(2001年)というアルバムです。

 メイズは黒人コミュニティのシンボルだから、ヒップホップでも盛んにイメージも含めてサンプリングされているんですが、そんな作品が世に溢れてくると、元ネタが何だったのかだんだんわからなくなってしまうんですね。

 『gaining through losing』の表題曲は、「流星雨」というタイトルで台湾のF4というグループにカバーされました。ありがたいことに大変なヒットになって、今では中華圏の定番的な曲になっているんですが、彼らのほとんどは原曲が平井堅だということを知らないんだそうです。この曲がフランキー・ビヴァリーへのオマージュであるなんてことは当然ますます知る由もないでしょう。

 でも、それでいいんじゃないかと。どれがオリジナルでどれがカバーかサンプリングか渾然としてわからないような、どれもがオリジナルであるかのような音楽のあり方があってもいいんじゃないか。今の自分がクリエーターの立場からそういうことを語れば読み物として成立もすると思い、実際『メロウな日々』でも日本人のオリジナル信仰について言及しました。でもほぼ同じ内容を音楽プロデューサーの肩書きがなかった20代で書いたときには、調子に乗るなという批判が多かったことを鮮明に記憶しています。

――やはり説得力に違いは出てきますよね。

松尾:以前、ぼくが好きなライターの山崎まどかさん、長谷川町蔵さんとお食事していたときに、創作とは?みたいな話題になったことがあって。ぼくは「たとえば〈創作〉の代表的形式である小説よりも面白い読みものがある。おふたりの『ハイスクールU.S.A.』のように」と忌憚なく伝えたんですが、おふたりともご謙遜もあるのか「松尾さん、いろいろな見方があるんですよ」というお返事でした。

――それはぼくもわかりますね。

松尾:そういうものですか。でもたとえば、川端康成の小説よりも、吉田健一の評論に心が惹かれたときに、後者のほうに進みたいと思うのも自然なことだと思うんですが。

――個人の資質や嗜好という問題もあるとは思うんですが、単純にフィクションとノンフィクションを並べたとき、やはり売れ方とか訴求力がヒトケタくらい違うんですよね。

松尾:扶桑社の『en-taxi』という文芸誌も、連載されていたリリー・フランキーさんの『東京タワー』が売れたからそのおかげで寿命が10年延びたというシニカルな見方をされるときがありますね。立川談春さんの『赤めだか』もベストセラーになりました。そういったヒットを生み出すことに、責任編集として関わっておられる文芸評論家の福田和也さんは自覚的なんだろうと思うんですが、でも自分がやることではないと見極めてもいらっしゃいますよね。

――どうでしょう、難しいところですよね。ベストセラーは狙って出せるものではないですし(栗原注:この収録後『en-taxi』の休刊が発表された)。福田さんも、評論なんだけど小説じみたものに挑戦していたこともありますし。佐々木敦なんかも、批評でありながら小説のように読まれること、というのに実はけっこうこだわっているんですよ。

松尾:栗原さんも、ご自身でそういうことを考えますか。

――考えますね。

松尾:実際いろいろとお書きになりますよね。

――小説も、各方面から書けとは言われます。自分でも、アウトプットの形態として小説というのを考えないではないんです。ぼくなんかの仕事は、ある事象なり事実なり人物なりについて調べたことを、あるまとまりのある視点で読者に差し出すことですが、それを普通に表現すれば評論というノンフィクションの体裁になるわけです。でも、その「まとまり」を「物語」と捉えれば別に小説でもいいといえばいい。たとえば松本清張なんかは、やってることは本質的にはノンフィクションですけど、アウトプットは小説なんですよね。

松尾:たしかにそういうかたちに落とし込んで広い読者を獲得していますね。

――山崎豊子も近いと思うんですが、そう考えると、フィクションという表現形態の力はやはり大きいんですよね。そこはけっこう悩みますね。才能の問題もありますし。

松尾:ぼくも、ディスクガイドの機能を、いわゆる類型的なディスクガイドではないスタイルで書いてみたというところもあるんです。

――ディスクガイドってなぜか売れるんですよね。ディスクガイドしか売れないというべきなのかもしれないんですけど。松尾さんの狙いは、物語的なディスクガイドだったということですか。

松尾:ディスクガイドと対立するような概念ではありますが、できるだけ一筆書きのように書いて、一筆書きのように読んで欲しいということは心掛けています。

――一筆書きのように読むには情報量が多い(笑)。

松尾:知らない名前が多くて引っ掛かるということはないですか。「松尾さんの本は、PCを前にしてYouTubeで逐一確認しながら読まないといけないので大変」と言われることがあります。

――それは松尾さんのご本に限らず、最近の充実した音楽書はおしなべて読むのに時間が掛かるようになってきていて。長谷川町蔵&大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』も、音源をざっと確認しながら読んでいたら、読了するのに1週間くらい掛かりました(笑)。

松尾:「遅読を強いられる」とぼくはよく言うんです(笑)。

――高橋健太郎さんの『スタジオの音が聴こえる』も、書評するつもりがあったのでちょっと丁寧に音を聴きながら読んでいたらものすごく時間が掛かってしまって。忙しかったせいもあったんですが1カ月くらい掛かったかな。それで書評のタイミングを逃してしまうという。松尾さんの前著『メロウな日々』も、書評する気満々で買ってきたのに、やはり音源首っ引きで読んでしまってタイミングを逃したケースでした。

 これやってると、良い本ほど書評ができなくなっちゃうので、ちょっと考えないとまずいんですが。

松尾:あるインタビューで「この本は何を書いたものですか」という質問をされたとき、「〈時間〉を書きました」と答えました。音楽が流れる時間の豊かさを、ぼくなりの表現で書いたという意味ですが、そのときに「読むのにも時間がかかる本ですね」と皮肉まじりに返されたのを、今思い出しました(笑)

――タイトルの「日々」や「季節」も、「時間」に掛けて付けたわけですか。

松尾:そうです。「時間」と書いて「とき」と読ませるとかいろいろな案が出たんですが。このまま巻が続いていったら、最後は「メロウな世紀」とかになっちゃうかもしれません(笑)。

――どんどんスパンが大きくなって(笑)。とりあえず次巻が出るとしたらどんなタイトルに?

松尾:そうですね……、箸休めということではないですが、このシリーズで出すとしたら、次は、あえて正統派のディスクガイドをやってみてもいいかと考えています。

 装丁の色にちなんで、『日々』のほうは「赤メロウ」、『季節』は「青メロウ」と呼んでいるんですが、そうしたら次は「黒メロウ」かな、なんて話は出てますね。他に「黄メロウ」という案もあります。ぼくは、アメリカやヨーロッパなどを行き来していたライターの時代を経て、軸足を日本にしっかり置いて音楽制作をする立場に進んだわけですが、日本というものに向き合うのなら「黄色」をイメージカラーにするのがいいだろうということなんです。

――日本版の構想というのは最初からあったんですか。

松尾:当初はあったんですが、生々しくて書けない話ばかりで……。逆に言えば、『日々』も『季節』も外国のアーティストのことだからこういう形式で書けたのかなと。だから先ほどお話に出たみたいに、小説というかたちに落とし込んでフィクションということにしてしまえば、出版できるかもしれません。それでも読む人が読めば、誰のどういうことを書いているのかわかってしまうかもしれませんが(笑)。

――モデル問題はこじれるとやっかいですからね……。純粋な小説の打診はないですか。

松尾:ええ、以前から出版のお誘いはいただいています。でもぼくのほうからこれ(『メロウな日々』)を先に出版させてくれと頼んだんです。それなのに続編まで出しちゃったものだから、先方は「話が違うんじゃない?」と気を悪くされてるかもしれません(笑)。予定では小説は今年のうちに完成していなければいけなかったんですが、間に合わせるのはちょっと無理そうです。

――モデルと言えば、直木賞を受賞した西加奈子さんの『サラバ!』の主人公、あれ、モデル、松尾さんじゃないですか!?(笑)

松尾:ディアンジェロの宣伝ポップを書くフリーライター(笑)。周囲からも「あれ、松尾さんじゃないの?」と言われまして、意識して読むと「そうかな?」とは思いました。あの主人公の、いつでも自分らしくあることに忠実に生きているようなところも、何となく自分に似てなくもないですね。まあ何より西さんの分身なんでしょうけど。

――世界を股に掛けてVIPたちに会いに行くフリーライターなんてそうそういないですから(笑)。西さんとご面識はあるんですか。

松尾:ないです。ただ、ディアンジェロ『Brown Sugar』のことを書いていらっしゃるからには、ぼくがあのアルバムに寄せたライナーノーツ(『メロウな日々』に収録)も読んでくださった可能性はあるな。どうでしょう。

――文芸の人たちは意外と気づいていないみたいで。

松尾:栗原さん、ツイッターで呟かれてましたよね(笑)。

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