伊藤博文は明治時代のトップヲタだった!? 快著『幻の近代アイドル史』を栗原裕一郎が読み解く

戦時下の清純派アイドル明日待子

 この本で取り上げられているアイドル的存在たちが携わっていた芸能は、どれも、当時は見下されていたものばかりだ。

「くだらないことは重々承知しながら、周囲に白い目で見られても、それでもアイドル(的存在)にハマらずにいられないのはなぜか。惜しみない愛を注いで、それでヲタが得られるものとは一体何なのか」

 本書に一貫して流れているのはそんな問いだ。今のヲタもみんな抱えていて、繰り返し自問していることだろう。最後に登場する明日待子が、あるいは答えの片鱗を示しているかもしれない。

 明日待子はムーラン・ルージュ新宿座専属の女優で、その清楚な可愛らしさから彼女を元祖アイドルと呼ぶ人も多い。ムーラン・ルージュがオープンしたのは1931(昭和6)年、満州事変が起きた年で、日本は戦争に向かいつつあった。そして1945年、空襲でこの劇場は焼け落ち幕を閉じた。

 1936年5月、演目を終えようとしていたムーラン・ルージュ新宿座の客席から「明日待子万歳!」という声が上がった。観劇に来ていた、間もなく満州に送られる東京第一師団の兵隊たちが叫んだのだった。東京第一師団は二・二六事件を主導した青年将校が多く所属していた部隊だ。

「青年将校たちは、第一報の段階からすでに陛下に「賊軍」と見なされた。彼らの陛下への思いは、片思いでしかなかったのである。一方、「明日待子万歳」と叫んだ兵隊たちも、もちろん彼女と面識があるわけではない。彼らが叫んだのも、客席から見ることしかできない片思いの相手でしかなかった。それでも、彼らは戦地に趣く前、人目を憚ることなく叫ばずにはいられなかったのである」

 この日からムーラン・ルージュ新宿座には「明日待子万歳!」の声が連日響くようになり、学徒出陣が始まるとさらに大きくなっていった。待子はステージから兵隊たちに呼び掛け、一人一人手を握って「ご苦労様。ご武運長久をお祈り致します」と声を掛けて回ったという。

 著者のいうとおりまさしく「神対応」であり、待子という存在によって出陣を控えた兵隊たちがどれほど救われたか想像して余りある。

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