伊藤博文は明治時代のトップヲタだった!? 快著『幻の近代アイドル史』を栗原裕一郎が読み解く

川端康成の推しメン河合澄子

 可愛いだけでろくにスキルがないのに驚異的な人気を誇った代表例としてあげられているのが、浅草オペラの河合澄子だ。初期の東京歌劇座において、教育と経験に裏打ちされた実力派・沢モリノと人気を二分し、その熱狂は「奇蹟的」と囁かれたという。

 ペラゴロと呼ばれたヲタの常軌を逸した行状は警察沙汰にまで発展し、後援会の学生が検挙される事態を招いたのだが、そのとき会員数のもっとも多い女優として名前があがったのが河合澄子だった。そのせいで澄子はゴシップの標的となり、「発展女優」の烙印を押され、やがて「エロ」を売り物にするようになっていく。

 浅草オペラにハマった作家は多く、谷崎潤一郎、佐藤春夫、小林秀雄、宮沢賢治、川端康成といった名前があげられている。川端の推しはまさに河合澄子だった。まだ旧制一高生、18歳で童貞だった川端は、なぜ浅草オペラを見に行かないのだと友人を真顔で問い詰め、「矢張り河合澄子は美しい。あやしげな幻の病的の世界に私を導かずに措かない」と日記に書き付けた。

 川端で浅草というと『浅草紅団』が有名だが、この作のモデルは関東大震災後興ったカジノ・フォーリーで、震災前の浅草オペラとは区別される。浅草オペラ、カジノ・フォーリーについては『六区風景 想ひ出の浅草』という充実した復刻音源が最近発売されたところだ。

レス厨キラー松旭斎天勝

 著者は河合澄子の魅力について「彼女を生で見たファンにしか分からないものだったのかもしれない」としながら、「流し目が武器だった」という当時の評価を引いている。また川端の日記によると舞台から投げキスをしたりもしたらしい。レス厨どもはその目線や投げキスにまんまと釣られたわけだが、究極の釣り師として紹介されているのが、奇術師の松旭斎天勝である。

 奇術師といいながら天勝一座の演目は、演劇やレビューなど、流行りのものは何でも取り入れたごった煮だったそうで、天勝は後に肉感的美貌を武器に当時流行の『サロメ』で主役を演じて好評を得る。

 ともかく絶世の美女で、人気の点では同時代の松井須磨子を凌いでいたという。彼女の必殺技は、すでに触れたように「目線」で、舞台から送る流し目でヲタどもを自由自在に釣り上げた。自身も目線テクに自覚的で、雑誌で得々と奥義を披露したりした。

 天勝は、ヲタに要人が多かったことでも知られる。伊藤博文、後藤新平を筆頭に、エリート官僚、国会議員などが並んでいる。

 初代総理大臣である伊藤博文は、天勝に限らず、アイドル(的存在)というと必ずのように名前が出てくる、今でいうならトップヲタみたいな人で、近代化の始めからこの国は残念であることを宿命づけられていたようで涙を禁じえない。

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