“アーティスト”から“パフォーマンス”へ さやわかが「一〇年代音楽」のモード転換を語る

「残念」という価値観が別の価値観を駆逐する訳じゃない

――さやわかさんが文章を書く際のベースとなっているのは、現代思想や社会学などの学識でしょうか。

さやわか:そうですね。しかしベースにしつつ、僕はそういう書き手がパフォーマティブには何をやってきたのかを参考にしているつもりです。たとえば現代思想というと浅田彰さんとか柄谷行人さんとか、蓮實重彦さんとか、あるいは『批評空間』みたいな思想誌とか、そういう名前が出てくると思うんですけど、東浩紀さんとかはそのシーンに宮台真司さんや大塚英志さんを引き入れることで、現代思想のパースペクティブのあり方を変えた。僕はオタクとかサブカルとか、そういうジャンルの評論を書き継いでいきたいというよりは、その「位置付けを変える」というやり方、そういうアティテュードを面白いと思うし、影響を受けていると思います。それまであった言説をうまく利用しながら、でも見取り図をまったく変えてしまうということ――たとえば地図を逆さに置くとか、そんなことがやりたいんですよね。

――最後に、さやわかさんは「残念」を象徴するカルチャーというのは、2017年頃には終わるかもしれないと書いていますが、その後はどんな動きが台頭するとお考えですか。

さやわか:まず宇野常寛さんが2008年に『ゼロ年代の想像力』という本で「決断主義」という考え方を示されていました。宇野さんは1995年『エヴァンゲリオン』の分析を通して、「何も選ぼうとしないという碇シンジ的な思想では00年代を生きられない」っていうことを言っているんだけど、実はその碇シンジの態度も含めて、00年代というのは何かを選ぶことが重視された10年だったという話になっている。そんな流れと比較して言うなら、善し悪しを判断してどちらかに決断する時代から、残念の時代、つまり善し悪しを決めてどちらかを捨てるのではなく、ダメなことを単にダメだとして受け入れる時代に変わったのだと、この本では指摘しました。なにかを決断することのしんどさ、辛さみたいなものが明らかになったから、ダメなものも積極的に受け入れる時代になったんだと思います。しかしその次にくるものは何かと言われると、おそらく繰り返しになるんじゃないかな、と最近は思っています。受け入れてばっかりじゃダメだ、何かを決断せよとか。つまり僕は「残念」という価値観が別の価値観を駆逐すると考えている訳じゃないんですよ。この本は全く、一〇年代の文化が過去を葬り去るからすげえだろうとか、そういうものじゃない。というか、この本でも書いているんですけど、いつも前の世代の人たちは、新しく出てきたものを「こんなのは全然話にならない」っていうじゃないですか。音楽とかでも、自分自身も恐らくそうなんですけど、新しいものが出てきたときに「こんなもの価値ないよ」「クズだわ」「これは音楽じゃない」なんて言いがちで(笑)。でも、それって自分も上の世代から言われ続けてきたことじゃないですか。そして下の世代は下の世代で、上の世代はダメだとばかり言っている。結局みんな自分の生を絶対的なものにしたいから「上の世代はダメ、下の世代もダメ、俺自身が正しい」って言いたいんですけど、そういう考え方自体がサイクル、ただの繰り返しだと思うんです。僕はそういうのが好きじゃないというか、飽きてるんですよね。カルチャーというのは結局、「残念」という言葉の意味のように絶えず変わっていくものだという気持ちでこの本を書いた。それを読んで、このループを抜ける人がもうちょっと増えたらいいなと思っているんですよ。そうなれば、今は僕が『一〇年代文化論』とか言って、ボカロとかラノベとかアイドルの構造分析を書いたりしているけれど、別に僕が書かなくてもよくなるんだろうと思います。そうなったら僕は他のものを書くので、それでいいんですけど、でも今はまだそうじゃないので、書き続けている感じですね。

(取材=神谷弘一/構成=松田広宣)

■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』『一〇年代文化論』がある。Twitter

■書籍情報
『一〇年代文化論』
版元:星海社新書
著者:さやわか
定価:¥820(税別)
発売日:2014年4月24日
サイズ:新書判

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