ザ・ウィークエンドが成功に至るまで【後編】:Daft Punkとの邂逅から始まる、“夜明け”=『Dawn FM』へと続く道のり
カナダ最大の都市トロント出身のシンガーソングライター、 ザ・ウィークエンド。スムースな声とダークなリリック、オルタナティブなR&…
90年代後半から世界中のクラブを狂喜乱舞させたフレンチ・ハウス・シーン。その最先鋒で気を吐いているのが、トーマ・バンガルテル&ギ=マニュエル・ドゥ・オメン=クリストによるダフト・パンクだ。97年にアルバム『ホームワーク』をリリース。みるみるうちにそのディスコ・チューンの数々が世界中を駆け巡り、クラブ兄ちゃん/姉ちゃんを腰くだけにしたのである。まるで享楽に命をかけているような極楽サウンドは、生きとし生けるものすべてをビンビンにさせるためだけに発射されている。———トーマによるスターダストの「ミュージック・サウンド・ベター・ウィズ・ユー」がこれまた大ヒットを記録するなど、課外活動もぼちぼち行ってはいるが、1stアルバム以降ダフト・パンクとしての表立った動きがない。そろそろ腰も回復したことだし、一発ドカンとぶっ放ちたい輩がウズウズ待ち焦がれて止まないのに……。
と、全リスナーが股間を抑えて(!)、切望してきた2ndアルバムが01年、日本先行で発売!! その名も『ディスカバリー』。00年にリリースされた前煽りシングル「ワン・モア・タイム」もさることながら、全14曲収められたこのアルバムは、ポピュラー・ミュージックの常識、延いては音楽の常識を覆す可能性を秘めた歴史的作品に。巨匠・松本零士による「ワン・モア・タイム」PV制作や、何が起こるか分からない「Daft Club」設立なども大きな話題となった。また、『ディスカバリー』を台詞一切なしのアニメーション・ムーヴィーとして映像作品化した『インターステラ5555』が03年カンヌ国際映画祭・監督週間特別上映作品として選ばれている。
その後しばらく活動を休止していた彼らだが、05年春に3rdアルバム『HUMAN AFTER ALL〜原点回帰』をリリース。「僕達のニュー・アルバムには説明は要らない」と一切の取材を受けなかったがゆえに“最大の問題作”と評されたが、シングルはクラブを中心に世界中で大量プレイされた。そしてメジャー・デビューから10周年という節目となる06年の春には、初のベスト・アルバム『Musique Vol.1(1993 - 2005)』をリリースしている。
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