『続・続・最後から二番目の恋』が願った固定観念からの解放 生涯“第一の人生”でもいい

6月23日に最終回を迎えた『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)への“ロス”の声が、いまだにSNSに飛び交っている。本作は、2012年冬期に放送された第1シリーズ『最後から二番目の恋』にはじまり、2012年秋のスペシャルドラマ、2014年春期の第2シリーズ『続・最後から二番目の恋』、そしてこのたび放送された『続・続・最後から二番目の恋』まで、合計4作品が制作されている人気シリーズだ。
中でも今回の『続・続』がいちばん面白いと筆者は感じた。足掛け14年にわたり制作されたシリーズの中で、最新作がいちばん面白い。これはかなりの快挙だと思うのだ。
このドラマの魅力は数あれど、まずひとつには、キャラクターが放つ「説得力」が挙げられるのではないだろうか。主人公の吉野千明(小泉今日子)と長倉和平(中井貴一)は第1シリーズから第3シリーズを通じて45歳と50歳、48歳と52歳、59歳と63歳という年齢を生きてきた。

千明・和平をはじめ、長倉家の面々ーー妹・典子を演じる飯島直子、妹・万理子を演じる内田有紀、弟・真平を演じる坂口憲二、娘・えりなを演じる白本彩奈の年齢設定は、キャストの実年齢とほぼ同じ(誤差があっても±1歳の範囲)。14年の間に、それぞれのキャラクターにそれぞれの俳優が積み上げてきたものが乗り、まさに物語が熟成した感がある。
2014年、第2シリーズ放送に際して放送され、小泉今日子、中井貴一、そして第1・第2シリーズのチーフ演出をつとめた宮本理江子が出演した『ボクらの時代』(フジテレビ系)にて、中井が小泉との芝居について、こう語っていた。
「僕は(小泉の顔の10cmほど前方を円で描くようなジェスチャーをして)このへんと芝居するんです。ものすごく役を持ってる人は、ここが大きいんです。だから余計に(「ここ」に)本人が浮き出てくる」
役というアンプを通して、役者本人の本来持つ「音」が増幅されて響く、といったところだろうか。こうした濃密な芝居のやり取りを重ねてきた、現在59歳の小泉今日子と63歳の中井貴一。『続・続』では2人の堂に入った会話のキャッチボールがこれまで以上に豊かで、阿吽の呼吸が名人芸の域に達していた。
中井貴一の芸達者ぶりは誰もが知るところだが、今回は特に小泉今日子の芝居に目を奪われた。第2シリーズまでは千明の投げる豪速球や変化球を名捕手・和平が巧みなグローブ捌きで受け止めていた印象だったが、この『続・続』では千明と、そして演じる小泉今日子自身の中に醸造された「受け」の能力に魅了された。
特に第4話で、自らに訪れた「成長期」に怯える万理子を「成長っていうのは、したくてするもんじゃないの。勝手にしちゃうものなのよ、生きてれば。だから、止められないの」と抱き止める千明の堂々たる包容力。シスターフッドであり、母性であり父性でもあるような「受け」の芝居が見事だった。

改めて第1シリーズと第2シリーズの第3話までを観てみたところ、当たり前だけれど全ての登場人物の言動がちゃんとアップデートされ、進化している。第1シリーズでストレス解消のためにハイブランドの服をゴールドカードで爆買いしていた千明が、『続・続』では時にメルカリで服を買ったりしている。こんなところにも「ご時世」と、老後を視野に入れた千明の生活様式の変化が見てとれる。
第1・第2シリーズに比べて『続・続』の千明は、JMTテレビの部下たちへの接し方もなるべく「対等」を目指している。その気配りの中に、何かといえば「パワハラ」「老害」と言われてしまうアラ還管理職の悲哀が見える。泣き笑いがいよいよ本調子になってきた。
第10話で、親友の祥子(渡辺真起子)が部下たちから受けた悪口に自らもダメージを食らってしまった千明の台詞が胸に迫る。

「年取るのってそんなに悪いことなんですかね? 私たち何か悪いことしたですかね。一生懸命生きてただけなのにな」
そんな千明をジャージ姿で抱きとめ、和平は言う。
「いい年したって抱きしめてもいいじゃないですか。泣いていいですよ。ぐしょぐしょになっても大丈夫。ジャージですから」
このドラマは絶えず、世にあふれる「ラベリング」、すなわち安易に名前をつけることに抗っている。60前後の人を称して「ジジイ」「ババア」「老害」という言葉で十把一絡げにしていいものだろうか。第1話冒頭で「定年退職後のセカンドライフ」の講習を受ける千明は、首を傾げていた。だいたい「セカンドライフ」という呼び方もどうなんだ。なぜ勝手に「第一の人生」「第二の人生」と区分けされなければならないのだ。生涯「第一の人生」でもいいじゃないですか。





















