『テミスの不確かな法廷』を傑作にした“天才”ではない主人公 向き合い続けた“分からなさ”

『テミス』傑作にした“天才”ではない主人公

 “今期最高のドラマ”の呼び声が高いNHKドラマ10『テミスの不確かな法廷』が、いよいよ最終回を迎える。

 本作の主人公は、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の当事者である裁判官・安堂清春(松山ケンイチ)だ。彼は、自らの特性による周囲との摩擦に葛藤したり、また同時にその特性のおかげで問題解決の糸口をつかんでいく。

 発達障害を抱えた主人公を謎解きキャラクターに据えたフィクションは多く、映像作品についてもこれまでたくさん作られてきた。作品に登場する発達障害の当事者に現れる特性はそれぞれ異なるものがあるが、既存の作品の傾向としては、こだわりの強さに起因する集中力からマジョリティにはない優れた能力を発揮する、いわば天才キャラとして登場することが多かった。

 一方、安堂も第1話で落合判事補(恒松祐里)と八雲書記官(山田真歩)の噂話に出てくるように、刑事事件を二度も逆転無罪にするなどかなり優秀であることが示唆される。“普通”の眼差しでしか物事を見られない他の裁判官=“地球人”にはない安堂の“宇宙人”としての視点のおかげで、事件は鮮やかに解決されていくわけだが、同時に少なくない分量で描かれているのが安堂の発達障害の悩み、失敗、奮闘だ。

 とりわけ第3話からの運送会社を相手取った過失運転事故死のパートでは、「一度に情報を処理できない」「感覚過敏」という特性のせいで重要な資料を街なかに置き忘れて機密漏洩を引き起こし、一度は原告を窮地に追いやってしまう。安堂はこれまでフィクションで描かれてきたような、特性の当事者=天才という枠から少しはみ出して描かれている。実際、機密漏洩が起きたとき、周囲は一様に安堂への「厄介な奴だな」という不快感を向ける。たしかに致命的な失態だったかもしれないが、忘れ物は誰でもするミスである。だが以降、安堂は「発達障害の自分がこの仕事を続けてよいのか」一層思い悩み、辞表を鞄にしまい込んだまま職務に従事することになる。

 先に挙げたように発達障害の特性はそれぞれ異なるものがあり、また安堂の主治医・山路医師(和久井映見)が言うように、自閉症スペクトラム特有の“こだわり”は一定ではなく、変化することがある。そんなふうにバラエティに富んだ特性が時として、あるいは結果として問題解決に繋がるということだけで、安堂が通う山路のセラピーで「職場にカミングアウトするか否か」が重要なトピックになっていることから見ても、当事者にとって特性はやはり苦悩の源だ。

 『テミスの不確かな法廷』では、“普通とは何か”が大きなテーマとなっていて、マジョリティが共有する“普通”から逸脱する安堂は、しばしばマジョリティの偏見をあらわにする。現実社会には今なお偏見が至る所にあり、当事者は常にその中で生きることを余儀なくされている。こうして言葉で書き表してしまうと大上段からの物言いとなってしまうが、繊細なシーンやエピソードの積み重ねで視聴者の意識に上手く問題提起をしているのである。そして発達障害当事者たちがたしかに抱える苦悩にも目を向けさせる狙いがあるのではないか。

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