『最後から二番目の恋』はなぜ“リアル”? 小泉今日子らが紡いだ日常の延長線上の物語

6月23日に最終回を迎えた『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)。振り返れば、本シリーズの最初となる“無印”『最後から二番目の恋』が放送されたのは、2012年1月、同年11月にスペシャル版として『最後から二番目の恋2012秋』、そして2014年に第2期となる『続・最後から二番目の恋』が放送された。
そこから11年ぶりの新作とあって、放送前から本シリーズのファンを中心に大きな期待が寄せられていた。いざ放送が始まってみると、SNS上ではシリーズのファンだけでなく、今期から観始めたファンも多かったのも印象的だった。
このドラマは良い意味でリアリティ溢れる描き方をしている。もちろんセリフやモノローグの美しさはドラマ的なのだが、心情の変化やキャラクターたちの成長ぶりについて過剰に描きすぎていないのだ。

昨今のドラマはSNSでの盛り上がりが1つの指標となることもあり、オチや伏線、セリフの意味を補足するような描写が過剰な作品も少なくない。しかし、人はそうそう胸の内を明かさないものだ。
和平(中井貴一)は物語の序盤に、現役の鎌倉市長・伊佐山良子(柴田理恵)から「次の鎌倉市長に!」と打診された。和平はこの選択をするにあたって、必要以上に語らなかった。もちろん各話の中で、この問題を考えているような素振りはあったが、長倉家の一同を集めて立候補しない旨を宣言し、その理由を説明したのは第9話。そこまで、視聴者も和平がどんな選択をするか、はっきりと読み取れずにいた。

だが、そもそも人生とはそのようなものであると筆者は考える。そこまでおおっぴらに誰にでも悩みを打ち明けるかと言われたら、そうでもない。そこについて「伏線が回収できていない」というような声が上がることもないのは、このドラマが私たちの日常の延長線上にあるから。そしてドラマシリーズのファンにとってはキャラクター像が確立されているために「らしい」選択だとスムーズに咀嚼できたからだろう。





















