『ANORA アノーラ』と『白雪姫』が描くアンチシンデレラストーリー 評価を分けた差とは

そもそも「シンデレラストーリー」とは、「思いがけない幸運に恵まれた人」(『旺文社国語辞典』より)の物語として定義されている。それは一般的には、ディズニーの『シンデレラ』で描かれたような、虐げられていた人物が幸運にも王子様との身分違いの結婚に至る……といった逆転の幸福を指す。日本でも同じニュアンスとして「玉の輿」という言葉がある。その語源を遡れば江戸時代に端をなすと言われているように、シンデレラストーリーという感覚は得てして世界に存在していた(※1)。
そもそもディズニーという会社、それ自体は、今までもプリンセス像そのものを時代に敏感に合わせて変化させている。
例えば、『アラジン』で白人ではないプリンセスを描き、『塔の上のラプンツェル』では王子様ではない存在との相互にアクティブな恋を描いた。さらに、『アナと雪の女王』では恋と結婚に物語の肝を置くことなく姉妹の愛を描き、そして『モアナと伝説の海』では海の旅で大冒険を繰り広げ、恋愛要素を描くことはなかった。
ディズニー好調の背景とは? ゼネラルマネージャーが語る2025年の展望と洋画興行の未来
1月29日、日本映画製作者連盟が国内の年間興行収入を発表した。洋画の不振がささやかれるなか、屈指の成績を記録したのがディズニーだ…2017年のハーヴェイ・ワインスタインに対する告発から始まった「#MeToo運動」をきっかけに、特にハリウッドを中心にセクシャリティの問題やマイノリティについて様々なアップデートが世界に広がっている昨今。映画というメディア自身も、差別を孕んだまま進化してきた自らの歴史について、多様性に目を向けながら自己批判を続けている。
とりわけ、2022年にアメリカで製作され、2024年日本でも公開されたニナ・メンケス監督のドキュメンタリー作品『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』も記憶に新しい。そこでは、これまでのフィルムそのものに当たり前のように存在していた女性差別を伴った映像表現的な視点を「Male Gaze」(男性のまなざし)として痛烈に批判し、前述のワインスタインに代表される問題より露呈した“映画界の悪しき体質”からの脱却とこれからの映画が目指すべき形を鮮やかに解き明かしている。
また、2022年に英国映画協会が発表した「史上最高の映画トップ10」では、1975年に製作されたシャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』が第1位に選出されるなど、今さらながらも男女平等の眼差しが映画界にもたらされている(※2)。このように普遍的にこびりついていた女性への加害性についての議論が行われる中で、映画界において新たに注目を集めているものがある。それがシンデレラストーリーである。素敵なモデルケースとして長年、女性の在り方を規定していた物語。つまりは、女性が男性に選ばれることによって幸福を実現するという夢の形に対しての見直しが図られた。
1950年に生まれた『シンデレラ』のさらに前、1937年に制作されたディズニー初の長編カラーアニメーション映画であり、同時に世界でも初の長編カラーアニメーション映画が『白雪姫』だ。そして、そんな物語をアップデートさせたのが、2025年のマーク・ウェブ監督作品『白雪姫』なのだ。

これは現代に満を持して行われた原点回帰であり、シンデレラストーリーの再構築である。とすると、全ての始まりである『白雪姫』をベースとしながらも最新のプリンセス像が描かれる今作は、ディズニーにとっても間違いなく重要な1本であるのだ。
そんな一方で、2025年に時を同じくして、「シンデレラストーリーのその先へ」というキャッチコピーを引っ提げて世界を席巻した作品がある。ショーン・ベイカー監督作品『ANORA アノーラ』だ。

そして、現代に作られるべくして作られた「アンチシンデレラストーリー」としての2作品の評価ははっきりと明暗を分けた。なぜなのか。この2作のアプローチの違いからその理由を探っていこう。
『ANORA アノーラ』は、ストリップダンサーとして暮らしている主人公アニー(マイキー・マディソン)が、客として出会ったロシアの大富豪の息子イヴァン(マーク・エイデルシュテイン)と恋に落ち、2人は怒涛のスピードで愛を深めて結婚に至る。そうしてアニーは職場の同僚からも「宝くじを当てたのね」と言われるように、まるっきり夢のようなシンデレラストーリーを迎える。しかし、その身分違いの恋を彼の両親が許すはずもなく、あの手この手で結婚をなかったことにしようとするが、そこからアニーはその夢や愛を守るべくたった1人で奮闘する。彼の両親から派遣された屈強な男たちの肉体や世間や社会のルールに勇敢に立ち向かうアニー。しかし、奮闘叶わず結婚は白紙に、さらに夫であるイヴァンも自ら彼女から離れていく始末。アニーにとっては一世一代の夢のような大恋愛も、大富豪の彼らにとっては、一つの火遊びに過ぎないかのように。ここで、2人の住む世界の埋まらない価値観のギャップ、身分違いの残酷性が浮き彫りになる。経済的に貧しい誰かにとっての夢の生活は、豊かな誰かにとっては取るに足らない現実の生活の一部にすぎないのだ。しかし彼女はそこで全てを失ったわけではない。その奮闘の中で出会った、互いに理解し合える同じ世界を生きる男からの愛。もうひとつの現実的な恋だけがそこには残っていた。その彼の腕の中、ラストでついに気丈な彼女は初めて涙を見せる。
『ANORA アノーラ』は“ハッピーエンド”なのか? 光と影の“対等”な2人を読み解く
映画『ANORA アノーラ』のどんな煌びやかな場面より、エンドロールの後ろで静かになっている車のワイパーの音が忘れられない。降り…こうして観客である我々は序盤の煌びやかで超刺激的なシンデレラストーリーに高揚しながらも、身分の差や障壁に対して果敢に抵抗する彼女の姿に勇気をもらい、それでも破れる夢と恋、その結果に残った愛と、これからも続く彼女の人生にまた夢を乗せ、胸を打たれるのだ。
結末をシンデレラストーリーへの諦念と捉えることもできるが、1人で流す涙と誰かと共有できた涙はまるで違う意味を持つ。筆者は、今後の彼女たちの人生を想像できる余地を残した今作を、現代におけるリアリティを伴った、それでも続く明日への希望を描いた物語と考える。
ショーン・ベイカー監督に聞く『ANORA アノーラ』が示したインディペンデント映画の可能性
第97回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の最多5部門受賞を果たした『ANORA アノーラ』。ニューヨー…ともあれ、第77回カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞し、第97回アカデミー賞でも作品賞を含む最多5冠に輝くなど、現にこの作品が受賞した数々の栄冠からも今作が時代に選ばれた納得の傑作であることは疑いようがない。























