『葬送のカーネーション』に刻まれた生と死の時間 空想と現実の間で監督は何を描いた?

『葬送のカーネーション』監督が語る

 静かな冬景色のトルコ南東部で、妻の遺体が入った棺桶を運ぶ老人ムサと、その孫娘ハリメ。彼らは戦争地の故郷からトルコに逃げてきた難民だが、故郷に葬って欲しいという亡き妻の言葉を守るため再び国境を目指す。第35回(2022年)東京国際映画祭・アジアの未来部門に出品された『葬送のカーネーション』は、妻との約束を果たす旅路を征く老人と、紛争の続く国に帰りたくない孫とのロードムービーである。

 旅の途中で出会う人々の善意、生と死、断絶と融和……さまざまなドラマを紡ぐ、現代社会の寓話のような本作を撮ったベキル・ビュルビュル監督にインタビュー。日本の映画監督・小津安二郎を敬愛しているという監督が、荒涼としたトルコの風景を通して描こうとしたものは何だったのだろうか。

主人公2人が担う“普遍的な孤独”

ーー主人公・ムサ役のデミル・パルスジャンと、孫娘・ハリメ役のシャム・シェリット・ゼイダンが、ほぼ全編ずっと出ずっぱりで演技をしていて凄いなと思いました。探し出すためのキャスティングに苦労したとのことですが、この2人をキャスティングした時のお話を伺えますか?

ベキル・ビュルビュル(以下、ビュルビュル):まずハリメ役ですが、実際の難民の女の子を起用したいと考えていたので、難民キャンプを探しまわり、その中からシャムを見つけたのです。戦争に対する深い感情を抱いているというのが彼女に決めたポイントでした。次に祖父役ですが、難民の中から高齢者を探し出すのはとても困難でした。なぜかというと、ある程度の高齢になると故郷を捨てて他の国へ逃げてくる人が少なくなるんですよ。戦争が起きようとも故郷に留まる道を選んでしまう。それでムサ役にはトルコ人の俳優デミル・パルスジャンを使いました。もちろん、シャムに似た雰囲気の人物というのが重要な決め手でもありましたが。

ーー本作は、シリアの戦地からトルコに逃げてきた老人が、亡くなった妻を祖国に埋葬するために遺体を運ぶ、という物語です。今回こうしたドラマを題材に選んだのはなぜですか?

ビュルビュル:シナリオ作りの段階からお話しなければなりませんが、この映画の製作前に私の祖父が亡くなりました。80歳を超えた高齢でトルコのアナトリアに住んでいましたが、介護の負担をなくそうと都市のイスタンブールに連れてきたのです。しかし祖父はずーっと自分の村で死にたい、こんな大都会で死ぬのは嫌だと訴え続けたのです。寝たきりのまま最期を迎えましたが、その祖父の死は私の中にいつまでも、しこりになって残りました。ちょうど映画を製作することになっていたその頃、難民の波がトルコに押し寄せていました。私には帰るべき故郷の大地というものがありますが、(難民の)彼らにはそれがない。故郷は戦地になっているわけですから、そこに帰りたいとは言えないんですね。この厳しい状況が私の心を締め付けました。そういう出来事がいくつも重なって、妻と共にこの映画のシナリオを作っていったのです。

ーーシナリオは奥様と作られたのですね。

ビュルビュル:そうです。祖父が亡くなるまでの介護は妻が手伝ってくれていましたので、シナリオも一緒に書きました。

ーー祖父と孫娘の厳しい旅路はロングショットの引きの絵で撮影し、2人の感情を描写する時には表情にカメラが寄るという技法がとても良かったです。アップとロングを交互に入れているのは意図的な演出ですか?

ビュルビュル:彼らは普遍的な孤独を体現する人々です。最果てのような地をどこまでも歩いて行く、そんな2人の関係性にも(心の)距離感があります。そこはロングショットで表わしています。旅を続ける中で2人の距離は段々と近づきますが、演出では彼らの目線に注意し、それを表現する時にはカメラが近づく必要があった。だからワイドとクローズアップの撮影は必然的に使い分けています。

ーー愛する妻の遺体にしては、ムサがあっさり棺から遺体を出して外に放置してしまうシーンに、かなり驚きました。なぜ彼はあのような行動を? 死者の尊厳を重んじる日本人から見ると意外な場面があります。

ビュルビュル:洞窟のシーンですよね。もちろんトルコも日本の考え方と似ていて、亡骸に対しては敬意を払わなければいけないですし、映画のように棺の中から遺体を出すことは普通はあり得ないです。だからこの映画でムサは苦渋の決断をしているのです。そうしないと孫娘が厳しい寒さで死んでしまうかも知れないから。奥さんの亡骸を棺から出して、寒さから守るためにハリメをそこへ入れるという、一種の矛盾と戦った結果の行動です。

ーー厳しい旅路の中でも、羊飼いの男や、トラクターに乗った男、木材加工をしている男など、道中で巡り合う他人が親切な人として描かれます。これはトルコ人の人柄でしょうか? あるいは監督の演出意図からでしょうか?

ビュルビュル:アナトリアの人々は大地に根差した暮らしをしている熱血漢で、互いに援助しあう人たちなのです。それに加えて主人公は亡骸を納めた棺を運んでいるので、おのずと周囲の人も、その手伝いをしようとしているんですね。でもその親切が時折、裏目に出たり投げやりになってしまうことがある。トラクターのおじさんが良い例で、彼のせいで棺が壊れてしまいます。それでも自分のできることは、なるべくやろうとしてくれる、それがトルコの地方の人柄なんです。

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