Netflix実写版『ONE PIECE』最速レビュー 作品を底上げするキャスト陣の真摯な演技
人気漫画・アニメの実写化において、企画が発表されるとすぐに賛否両論の声があがる。それらの意見は大概がキャスティングに対するもので、Netflixオリジナル実写ドラマシリーズ『ONE PIECE』もその例に漏れない。しかし、エピソード配信前に『週刊少年ジャンプ』(集英社)公式YouTubeで、モンキー・D・ルフィ役を演じることとなったイニャキ・ゴドイが『ジャンプ』編集部を訪れたり、原作者・尾田栄一郎に会いに行ったりする動画が公開され、彼自身の愛嬌を垣間見ることができた。
ゴドイの持ち前の明るさや良い意味で距離感が近い仕草、そして何よりルフィ役を演じる上での感動と覚悟が感じられて、外見が似ている/似ていないとかではなく彼の表現するルフィを応援したくなる。そういった気持ちを視聴者に先に抱かせたことは、正解だったように思える。実際、Netflixシリーズ『ONE PIECE』はゴドイが体現する快活さ、ルフィらしい愛嬌の魅力で溢れていた。
グランドラインに出る前の「東の海編」を描くことが事前に発表されていたシーズン1では、物事が大まかに原作に沿って進んでいく。しかし、完璧に原作通りの展開やセリフ運びがあるわけではなく、オリジナルの表現もかなり多い。例えば、ルフィがコビーと一緒にゾロを解放させる「シェルズタウン」編ではもうナミが合流していたり、ゾロが捕まった理由や彼の回想が違うタイミングで描かれたりなど、ドラマオリジナルの“編曲”が目立つ。原作漫画やアニメを通して、すでに物語やキャラクターを知っている鑑賞者にとっては「もしもあの時、あのキャラが……」というようにパラレルストーリーとして楽しめるようにもなっていた。
ただ、『ONE PIECE』という作品を考えるときに思い浮かぶのは、どの物語にも用意されている“カタルシス”なのだ。シャンクスの腕を奪った海王類を成長したルフィがぶっ飛ばして航海に出たり、コビーがアルビダに“自分の言葉”を使って恐怖に涙しながらも立ち向かったり、ウソップが力で敵わなくたって血まみれになったって敵から味方を守ろうとしたり。そこには常に、“痛み”があった。
しかし、オリジナル展開によって重要な局面で起きるはずだったこと、言うはずだったセリフがアレンジされたドラマシリーズには、少なからずこの“痛み”が失われている部分もある。特に「シロップ村編」ではそれが顕著に感じられ、淡々とイベントだけが進んでいくような印象があった。それでもオリジナルのアレンジがあるからこそ見応えのあったエピソードももちろん存在する。特に「オレンジの町編」におけるバギー海賊団のサーカステントは美術や照明も凝っていて、閉鎖的な空間で精神的に市民を追い詰めている様子が原作よりも恐怖を引き立てていた。くわえて原作では扉絵での連載となった「コビメッポ奮闘日記」を映像化した点も、目の付け所が良い。