アニメ『わたしの幸せな結婚』には原作の静謐さがある “セリフなし”の息を呑む演出
シリーズ累計700万部という人気を誇る顎木あくみの小説『わたしの幸せな結婚』(KADOKAWA)がTVアニメ化された。小説を読んで目に浮かんだ光景や心に感じたキャラクターたちの思いが、ベストな声とハイクオリティな絵と美しい音楽を伴うことで身の回りにあふれ出す。原作ファンなら大満足で、ここからシリーズに触れる人への求心力も高いTVアニメ『わたしの幸せな結婚』の魅力を掘り下げる。
儚さに涙した。悔しさに歯噛みした。『わたしの幸せな結婚』のヒロインで、名家の斎森家に生まれ育った美世を思っての感情だ。深窓の令嬢といって良い立場なのに、美世はまるで使用人のように扱われていた。父親から疎まれ妹から蔑まれ母親からも虐げられるその姿に、どうして美世だけがと悲しく思えた。
斎森家の長女ではあるものの実の母親はすでに亡く、今の母親は継母で妹の香耶もその娘という異母妹の関係。父親は昔からの思い人だった継母と香耶を可愛がり、美世には目もくれようとはしなかった。それどころか家から追いだそうと画策し、持ち込まれた久堂清霞という名門・久堂家の当主との縁談を受けてしまった。
嫁がせることで美世を幸せにしようなどと考える親たちではない。嫁ぐ相手となる清霞には、婚約者候補をすぐに追い出す冷酷無慈悲な人間という噂がつきまとっていた。そんな清霞の家に行っても、すぐに追い出されて実家にも戻れないまま路頭に迷うだけだと美世の親たちは考えた。
美世もそうした思惑は承知で清霞のところへ赴く。アニメでは、縁談を告げられた美世が部屋を出て縁側に座り込むシーンを描き、雨音だけを響かせて彼女がすべてに絶望しているような雰囲気を醸し出した。観た人は、現実の世界で仕事や勉強や人間関係に追い込まれ、何もかも煩わしくなってしまった時の気分を思い出し、すっと引きずられてしまいそうになっただろう。
ひとりで家を出て鉄道を乗り継ぎ久堂家へと向かう美世を、幼少の頃から差別されてきた思い出を挟みながら描いたシーンでも、淡々とした中にこれからどうなってしまうんだろうという気分が募っていった。セリフは乗せなくても、美世の張り付いた表情と静かな音楽で情感を描くことができる、アニメならではの演出が効いたシーンだ。
そうした描写の先、たどりついた久堂の家で美世は清霞と初めて対面して、その美しさにただただ引き込まれる。これは恋の始まりか? いやいや、凍えきっている美世の心はそれくらいでは動かない。第2話に入って美世は清霞から噂通りに冷酷無慈悲な言葉を投げつけられるが、それが当然だといった感じで無表情を貫く。そこで清霞の心が動いた。
「出ていけと言ったら出ていけ。死ねと言ったら死ね」とまで言ったにもかかわらず、怒って席を立たなかった美世に清霞は何かおかしいと感じた。久堂という家の権力や財力、そして清霞のとてつもない美貌にのみ関心を持って嫁ごうとしてきた数多の婚約者と、美世はまるで違っていると思った。
自我をぶつけてこないどころか、自我らしきものがまるでない美世をどうにかしてあげたいという清霞の優しさと、その優しさに触れてだんだんと自分を取り戻していく美世が、“しあわせな結婚”への階段に一歩をかけた初対面のシーン。以後、その行く末を確かめずにはいられないという気持ちが浮かんで、物語から目が離せなくなる。