『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の“悪夢”こそ映画の存続価値か? 現代への凄惨な耳打ち
洋上の人になったバルトーク氏は、船員にくりかえし質問する。「私は自由なのか?」。船員はこともなげに「もちろん自由です」と答えるが、果たして本当にバルトーク氏は自由になったのか? いや、船旅に飽きてチェスの大勝負に異常な興奮ぶりを示す乗客たちにしたところで、実際に自由なのかと問われれば、その状況はきわめて心許ない。なぜなら第二次世界大戦の勃発まであとわずか、という時制ゆえに船旅の安全が保証されなくなっているからである。それどころか、画面を見つめる私たち映画観客もまた「私は自由なのか?」と自問自答をくりかえす客船の一乗客なのであり、「ホテル・メトロポール」に集められた被監禁者のひとりにすぎないのかもしれない。シュテファン・ツヴァイクが死を覚悟しながら原作小説を仕上げた1942年2月/舞台となったウィーンの1938年3月/この映画がドイツ本国で発表された2021年9月/そしてそれを日本の観客の前で披露されようとしている2023年7月。これらの年号がシームレスに連結され、悪夢のネックレスができあがる。この連結の示唆こそ本作の存在意義だろう。
クライマックスとなるチェスの大勝負は、カメラが時計回りにぐるりと回っていき、周囲の喧騒と主人公の悪夢を直結し、ふたつの世界を、そして分裂したふたつの人格を融合させる。「お静かに! 世界王者が集中できません」というプロモーターの男の号令とともに、カメラは少しだけ反時計回りに回って、世界王者の席へとアングルを戻す。そしてまたいろいろな事象が映り込んでエントロピーを増大させながら、再び時計回りに回り始める。
その時、バルトーク氏の夫人アンナが主人公に耳打ちする声が聞こえる。「ウィーンが踊るかぎり、大丈夫」。数カ月前のナチスによるオーストリア併合当日にはなすすべもなく寝耳に水だったはずの舞踏会が、変わり果てた凄惨な姿ながらに奇跡の復活を遂げたことを、オーストリアの撮影監督トーマス・W・キーナストによるロー・キー(暗めでコントラストの低い画調)のカメラが、ぐるりと回転することによって示し得たのだろうか? もしそうだとすれば、世界のあらゆる地域で理不尽な殺戮がおこなわれ、膨大な数の子どもたちが飢餓に苦しむ現代の世界情勢にあって、それでも映画というメディアが存続に値するのだとしたら、ひょっとするとこの「ウィーンが踊るかぎり、大丈夫」と大胆不敵に言ってのける、凄惨な耳打ちとしてなのかもしれない。
■公開情報
『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』
シネマート新宿ほかにて全国公開中
監督:フィリッブ・シュテルツェル
原案:シュテファン・ツヴァイク
出演:オリヴァー・マスッチ、アルブレヒト・シュッへ、ビルギット・ミニヒマイアー
配給:キノフィルムズ
提供:木下グルーブ
2021/ドイツ/ドイツ語/112分/カラー/5.1ch/シネマスコーブ/原題:Schachnovelle/G/字幕翻訳:川岸史
©2021 WALKER+WORM FILM, DOR FILM, STUDIOCANAL FILM, ARD DEGETO, BAYERISCHER RUNDFUNK
公式サイト:royalgame-movie.jp