テレビマンたちはナチス戦犯・アイヒマンをどう描いたか? 『アイヒマン・ショー』をめぐる考察

『アイヒマン・ショー』の切り口を考察

 『シンドラーのリスト』(1993年)、『戦場のピアニスト』(2002年)、あるいは『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997年)など、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺、すなわち「ホロコースト」の問題を扱った映画は、これまで数多く存在する。近年では、強制収容所で死体処理を担当していた囚人“ゾンダーコマンド”を主人公とした『サウルの息子』(2015年)が大きな話題を集めていたことも記憶に新しい。そんな「ホロコースト」の現実を世界中に知らしめた……というよりも、それが単なる「歴史上の悲劇」ではなく、「現在と地続きのリアリティを持った出来事」であることを世界中の人々に周知したという意味で、ひとつ重要な事件が挙げられる。戦争終結から20年近く経った1961年、イスラエルで行われた「アイヒマン裁判」である。

 ナチスによる「ユダヤ人問題の最終的解決」、すなわち「ホロコースト」に関与した重要人物でありながら、終戦間際にドイツを脱出、逃亡生活を送っていた元ナチス親衛隊(SS)将校、アドルフ・アイヒマン。1960年、アルゼンチンはブエノスアイレスの地で、イスラエルの諜報機関モサドに身柄を拘束されたアイヒマンは、その後すぐにエルサレムに連行され、裁判にかけられることになる。1961年4月より約4ヶ月にわたって行われた裁判、通称「アイヒマン裁判」である。総勢112人に及ぶ証人が、それまで公の場でほとんど語られることのなかったホロコーストの体験を生々しく語ったこの裁判は、ラジオで生中継されると同時に、すべて映像によって記録され、アメリカの3大ネットワークをはじめ、世界37ヶ国でテレビ放送されることになる。それによって世界中の多くの人々は、ホロコーストが「現在と地続きのリアリティを持った出来事」であること、すなわちその「被害者」はもちろん「加害者」もまた、我々が生きるこの「世界」で暮らしていることを思い知ったのだ。

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 4月23日(土)より公開されるイギリス映画『アイヒマン・ショー』は、そんな「アイヒマン裁判」のテレビ放送を実現するために尽力した、名もなきテレビマンたちの活躍を描いた映画である。1961年、アメリカのテレビ・プロデューサー、ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)は、アドルフ・アイヒマンの裁判を世界中にテレビ放送するという前代未聞のアイディアを思いつく。「ナチスがユダヤ人に何をしたのか世界に見せよう。そのためにテレビを使おう。これはテレビ史上最も重要な事件となるはずだ」。野心溢れるテレビマンであるフルックマンは、この「世紀の裁判」を撮影するにあたって、選りすぐりのスタッフを集結させる。その監督に起用されたのが、アメリカのドキュメンタリー監督、レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)だった。マルチカメラを用いたスタジオ放送の草分け的な存在でありながら、1950年代に端を発するマッカーシズム(いわゆる“赤狩り”)の影響で、10年以上も満足に仕事をすることができなかったフルヴィッツ。彼は自らの思想とも関連する「ある信念」のもと、その仕事を受けることを決断する。

 イスラエル政府はもちろん、司法当局とのさまざまな交渉、そして諸勢力による数々の妨害工作など、幾多の困難を乗り越えながら臨んだ裁判初日。映像作家フルヴィッツの胸の内には、ある明確な意図があった。それは、アイヒマンを「残虐非道なモンスター」としてではなく、自分たちと同じ「ひとりの人間」として描き出すことだった。恐らくその背景には、彼の「信念」……素朴なヒューマニズムに由来する彼の信念があったのだろう。3人の子どもを持つ父親であるアイヒマンが、冷酷無比な機械のような人物であるはずがないという「信念」が。「すべてのドキュメンタリーは主観的なものである」とは、よく言われる話ではあるけれど、フルヴィッツもまた、それに倣って自らの映像=作品を編集してゆくのだった。かくして、マルチカメラを用いながらも、今日の国会中継のような淡々としたカメラワークではなく、執拗にアイヒマンのクロースアップを多用しながら編集された裁判映像。フルヴィッツは、アイヒマンが「動揺する」瞬間をカメラで捉えることによって、彼の人間性をあぶり出そうとしたのだ。しかし、次々と登場する証人たちの生々しい告白にも、表情ひとつ変えることなく、淡々と弁明を繰り返すアイヒマン。彼は冷酷無比な殺人鬼なのか? 執拗に彼の表情を捉えるカメラ、フルヴィッツをはじめ焦れるスタッフたち。そのとき、アイヒマンにある変化が訪れるのだった……。

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 前代未聞の裁判放送の背景に存在した、テレビマンたちの知られざる人間ドラマを描いた本作。しかし、この映画をより立体的に理解するためには、さらにふたつの映画を参照する必要があるだろう。ひとつは、日本でも異例のヒットを記録した映画『ハンナ・アーレント』(2012年)である。戦時中にアメリカに亡命した、ドイツ出身のユダヤ人政治哲学者であるアーレント。彼女もまた、この「アイヒマン裁判」を現場で傍聴していたのだ。彼女はその後、裁判の傍聴に基づく自らの所見を『イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』として出版し、大きな論争を巻き起こすことになる。というのも、映画のなかで描かれているように、彼女の「アイヒマン裁判」に対する所見は、『アイヒマン・ショー』の登場人物たちとは少々異なっていたからだ。「異なっている」というよりも、むしろ「その先へと押し進めた」といったほうが正確かもしれない。そもそも、イスラエルはアイヒマンの裁判権を持っているのか? アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したことは国際的に許されるのか? といった諸疑問から裁判そのものの正当性を問い、この裁判を「(イスラエルの初代首相)ベングリオンが演出した政治ショー」であると看過したアーレント。さらに彼女は、アイヒマンのことを異常者でも「野獣」でもなく、思考することを放棄した「凡庸な小役人」であるとしながら、「悪の凡庸さ」という普遍的な命題について考察するのだった。

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