『らんまん』後半戦で描かれる栄光と挫折のアップダウン 史実から今後の展開を考察

『らんまん』史実から後半の展開を考察

 物語が後半戦に突入し、ますます盛り上がりを見せている連続テレビ小説『らんまん』(NHK総合)。寿恵子(浜辺美波)との祝言を終えて、再び東京に戻ってきた万太郎(神木隆之介)は決意を新たに、植物学者としての道を今度は夫婦二人三脚で歩み始めた。しかしながら、田邊教授(要潤)に「たとえ新種の植物に出会っても、学歴のない万太郎には自らの手で発表することはできない」とシビアな現実を突きつけられ、早くも暗雲が立ち込める。

 前半戦で描かれたのは、いわばどこに生まれたかでその後の人生が決まってしまう“身分社会”との決別だ。“由緒正しき商家の跡取り息子”という運命を背負って生まれた万太郎が家を飛び出し、何もない状態から東京で思う存分研究に打ち込める第一、第二の居場所を見つけ、志を共にする仲間と伴侶を手に入れた。

 もちろん、実家からの十分な仕送りと竹雄(志尊淳)が稼いでくる生活費のおかげで経済的な不安はクリアになってこそだが、縁もゆかりもない場所、分野であったとしても自らの手で道を拓いていけることを万太郎は証明したのである。その事実を帰郷した万太郎に、間接的に突きつけられたタキ(松坂慶子)が血筋への拘りから解き放たれるラストで前半戦のテーマは回収された。

 だが、前述したように、今度は万太郎に学歴の壁が立ちはだかる。かつて、幼き日の万太郎に池田蘭光(寺脇康文)が投げかけたある問いを覚えているだろうか。それは、身分が消えた時に何が残ると思うか、というもの。蘭光は万太郎に“己(おのれ)”という回答を提示した上で「自分が何者か、人はそれを探していく」と説いた。

 しかし、身分や階級から解放された、あるいは失った人々が、次に心の拠り所にしたのが学歴だ。国が定める教育課程をどこまで修了したか、どの大学に入学するかで、周りの見る目が変わり、社会的地位が決まる。そんな学歴社会に、それまでの身分社会が取って代わられたのである。

(右)槙野万太郎役・神木隆之介

 たしかに学歴はその人の知識量を測るおおよその目安にはなるし、自分では選べない血筋や家柄とは違って努力次第で手に入るものだ。一方で個々のケースは様々で、金銭的な問題や家庭の事情で学校に通えない人もいれば、体系的な教育課程を経ていなくともそれ相当の、もしくはそれ以上の知識や経験を持っている人もいる。実際、万太郎も表向きは小学校中退だが、名教館で実践的な学びを得て、小学校の教師を英語で言い負かすほどの学力を手に入れた。東大の植物学教室でも、誰よりも植物と懸命に向き合っているのはご存知の通り。だから一概に学歴が全てとは言えない。それは今も昔も同じである。

 後半戦では、万太郎が植物学の分野で成果を上げ、一定の評価を得ることで、「大事なのは学歴や肩書きではなく、“何をしたか”である」と証明していくことになるだろう。その決意の表れとして、田邊教授(要潤)の専属プラントハンターにならないかという誘いを断った万太郎。現在、彼は植物画をメインとした図鑑の刊行を目指しており、さらに同時進行で大窪(今野浩喜)と高知で採集してきた新種と思わしき植物の共同研究に励んでいくこととなる。

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