『日曜の夜ぐらいは...』が映し出す“家族愛”の素晴らしさと厄介さ 理想郷の幸せを願って

『日曜の夜ぐらいは...』が映し出す“家族愛”

 岡田惠和がオリジナル脚本を手掛けたドラマ『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が7月2日に最終話を迎える。

 今期最も「今」を生きる女性たちのリアルに寄り添ったテレビドラマだったと言える本作は、主人公たちだけを対象とするのではなく、彼女たちの母や祖母、みね(岡山天音)や賢太(川村壱馬)の生きづらさにも丁寧に寄り添った。そして、どうやったらそれぞれが少しでも生きやすくなるか、その場所が居心地のよい場所になれるのかを模索するかのような作品だったと思う。また、誰かが思わぬ人生の落とし穴に落ちてしまわないように、各々が特性を生かして、それぞれのセーフティネットになろうとするかのような一面もあった。

 最初こそ、車椅子の母親・邦子(和久井映見)と共に寂れた団地で暮らす、ヒロイン・サチ(清野菜名)の物語だった。翔子(岸井ゆきの)が運転するタクシーの車窓からは、余裕がない現代人の姿が浮き彫りになり、特に何ということもない都会の街の景色が見えた。若葉(生見愛瑠)の住む田舎町の人々は誰もが彼女に敵意の眼差しを向け、祖母・富士子(宮本信子)すらかつて住んでいた家への執着から、その家の住民を監視する癖をやめられない。

 でも、いつのまにか団地が、彼ら彼女らが集い、それぞれ適度な距離感を保ちながら、互いの孤独を埋め合い、支え合う理想郷となり、街は「お店の数だけ、今の私たちみたいな夢がある」から、応援したい人でいっぱいの街になった。ラジオをきっかけに偶然出会った3人+1人は、宝くじの当選という奇跡をきっかけに、一緒に住む家族たちも巻き込んで「カフェ作り」という夢を共に見る仲間となり、いよいよ「皆で幸せ」になろうとしている。それは、単に「理想」に過ぎないのかもしれない。彼女たち自身が第7話で実際に言うように結局は「お金を手に入れたから幸せ」なだけで、この物語は「宝くじで3000万円当たる」という奇跡でもなければ、好転しようがない、私たちの日々という現実を依然として突きつけていたりもする。

 そんな本作の最も興味深いところは、美しく理想的で強靭な物語の奥に見え隠れする、愛ゆえの人々の弱さなのではないだろうか。例えば、いつも穏やかで優しく、全ての登場人物の母となり娘にもなる包容力を持ちあわせた邦子が、一方で、「娘にたかるどうしようもなくダメな男」であるところの博嗣(尾美としのり)をかつて確かに愛していたことを随所に感じさせる一面を持っていたように。富士子が、娘・まどか(矢田亜希子)を「悪魔」と形容しながらも、その繋がりを断ち切れないように。

 それは、家族と疑似家族の対比といった単純な構造にとどまらず、「家族愛」の素晴らしさと厄介さの両面を映し出す。

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