『メディア王』サクセッション=継承の物語が終幕 狂騒を見つめることしかできない私たち

『メディア王』最後に映った私たちの姿

 しかし、在りし日の父が子どもたちを見て「この世に残るものなどない」と絶望したように、例え家族として愛していても許せない、理解できないという断絶を描いてきたのも『サクセッション』である。社に戻るやいなや父のデスクに足をのせるケンダルを見て、シヴは顔をしかめる。弔辞で「あの力が欲しい」と宣言したケンダルの継承とは権力を引き継ぐだけでなく、彼の目線を通じたローガンの再生、醜悪さの再現である。それは弔辞で故人を偲びながら「女性の扱いが酷かった」と言及せずにはいられなかったシヴにとって、到底看過できるものではない。ましてや「オレは1つの機械にしか合わない歯車なんだ」とまで言う兄の傲慢さを、これまでいったい何度見てきたことか。「兄貴のことは愛してるよ。でも我慢できない」と言う妹をケンダルは恫喝し、ついには自分が長男であると血統を持ち出して、かつての父親と同じくローマンを暴力でねじ伏せる。最後の反対票を投じに行く妹を背にしてローマンは言う。「もう何もない。壊れたショーをノリでくっつけただけ。オレたちはクソなんだ。もう終わりだ。これでいい」。父の期待に応えることなく自ら王国を売り渡すローマンは終幕、自嘲とも安堵とも見て取れる表情を浮かべる。会社を手放すことで彼はようやく呪縛から解放されたのかもしれない。 

 片や“CEOの娘”から“CEOの妻”という肩書に変わったシヴにはもうどこにも行き場がない。破滅的な口論以後、わずかながらの歩み寄りを見せていたシヴに対し、トムの心は冷え切っている。彼は妊娠を聞かされてもにわかに信じず、第10話冒頭、自身の弱さを曝け出したシヴの「本当の夫婦になってみる気はある?」という問いかけにも頭を振るばかりだった。トムから差し出された手に自らを預ける彼女は、忌み嫌った母親と同じように望まぬ出産を迎えるのだろうか。権力に執着し、自身の理想もかなぐり捨てた“薄っぺらさ”が招く代償としてはあまりに辛辣である。

 シーズン4第10話のエピソードタイトルは『現実を見る目』(原題:With Open Eyes)。社会は変わることなく、極右政治家が権力を握り、悪辣な資本主義が人間の心を買い付けては“Gregging”する。1つのシステムが滅んでも、また新たなシステムがそれを継承し、代行する。全てを失ったケンダルは呆然自失のまま、寒々しいハドソン川を見つめる。水とは常にケンダルの精神と運命を司ってきたモチーフだ。撮影では彼が入水しようと欄干に身を乗り出す場面も検討され、そこでケンダルを止めるのは後ろに付き従う運転手のコリン(スコット・ニコルソン)だったという。(※)かつて父ローガンが親友とまで言い、自身の胸の内を晒した一介の労働者が、『サクセッション』の最後に僅かながら映る私たちの姿かもしれない。私たちはただ踏みとどまり、この狂騒を見つめることしかできないのだ。

参照

※ https://www.indiewire.com/news/breaking-news/jeremy-strong-succession-series-finale-alternate-ending-1234868964/

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