生田斗真の熱意は視聴者にも伝播 『大河ドラマが生まれた日』に詰まったテレビへの愛

『大河ドラマが生まれた日』テレビへの愛

 生田斗真が主演を務める『大河ドラマが生まれた日』(NHK総合)が、2月4日に放送された。

 本作は、1963年にオンエアとなった現在の大河ドラマ第1作目にあたる『花の生涯』の舞台裏を描いた誕生奮闘記。NHK芸能局のアシスタントディレクター・山岡進平を生田斗真、プロデューサー・楠田欽治を阿部サダヲが演じている。

 『大河ドラマが生まれた日』を通じて見えてくるのは、現在放送されている大河ドラマ、あるいはテレビドラマの礎がいかにして生まれていったかだ。テレビ放送開始から70年を迎えるこの2023年2月に届けられる本作の舞台は60年前。庶民にもテレビが浸透し始め、視聴者数は右肩上がりとなっていたが、まだまだテレビドラマはレベルの低いものだった。いわば、映画とテレビドラマは別世界。そんな夢のないテレビドラマ業界に対して、“親分”こと芸能局長の成島庭一郎(中井貴一)は「映画スターを呼んで日本一の時代劇を作れ」と山岡、楠田に命令する。

 そこには映画会社の専属俳優はテレビ出演禁止とされていた「五社協定」を筆頭にして、撮影時間の短縮など、無理難題が立ち塞がる。今では俳優、演劇、歌舞伎、芸人、アイドルなど、あらゆるシーンで活躍する役者たちが一堂に会する大河ドラマだが、当時はメインキャスト1人出演交渉するのにも一苦労。五社協定の下にあった映画スター・佐田啓二(中村七之助)に出演を快諾させたのは、山岡の熱意だった。

 このドラマに溢れているのは、面白い作品を届けようとするテレビマンの情熱。失敗した責任を取り、辞めようとする後輩の大江育間(矢本悠馬)を「俺はお前と最後まで走り切りたい」と言って引き止める山岡の姿は、多忙を極める制作の日々の中で徐々に熱を帯びていくドラマへの思いと彼自身の成長が見えるシーンだ。山岡の熱量が大江に伝播していくところもいい。

 親分からの言葉をさらりと山岡に受け流す楠田は一見するとお調子者のキャラクターだが、そこには山岡に負けず劣らずの熱意とテレビ愛がある。そのことを象徴しているのが「小さな子供からじいちゃん、ばあちゃんにまで喜んでもらえるような、夢のあるドラマが今のテレビには必要だと思ってる」という現代にも通ずるようなセリフ。妻の美登理(倉科カナ)が明かしているように、局長の背中に隠れて好き放題やっているところは山岡といいコンビ関係にあるとも言える。

 クライマックスとなるのは「桜田門外の変」の撮影シーン。近年の大河ドラマでは『青天を衝け』(NHK総合)でも描かれている名場面だ。問題は季節外れの夏に、雪景色の江戸城を再現しなければいけないこと。山岡たちは京都撮影所にある東映城の瓦を白く塗り、辺り一面を白い布で覆い、細かい発泡スチロールを降らせることで銀世界を再現。30秒前のカウントを取り、役者に指示をする山岡の真剣な表情は、撮影が始まった当初と比べると見違えている。ずっと「兄ちゃん」と指示していた成島が「山岡」と呼んだのは、『花の生涯』の成功と彼の成長を認めてのことだろう。

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